〔真浦(もうら)〕の伝兵衛(7)
「伝兵衛(でんべえ 28歳)と東江見の八助(はちすけ 19歳)は、真浦(もうら)村の博打場で面識ができたと言っていましたな」
東江見村の庄屋・幸兵衛(こうべえ 56歳)の離れ座敷での夕餉(ゆうげ)である。
酒には目がない火盗改メ方の同心・有田祐介(ゆうすけ 31歳)は、さっきからうれしそうに呑んでいたが、一皮むけた艶っぽい女中に酌をされると、照れたのか、幸兵衛に言葉をかけた。
女中は、海岸に近いところをのびている房総往還に面した料理屋から借りられている。
もう一人の若いほうは、銕三郎(てつさぶろう 26歳)にべったりだが、相手にしてもらえない。
「博打場といいましても、地蔵堂でひらかれたり、百姓家の納屋であったりと、しけた賭場のようです」
幸兵衛の言葉にかぶせるように、銕三郎が、
「有田どの。こんど出張りは、〔真浦〕の伝兵衛にとどめて、賭場のことは代官所にでも通してすませましょう」
「それはそうだが---」
有田同心は、女中にいいところを見せたいらしい。
「有田どの。役目の話は、酒の味を落とします。お女中、酌がたりないようだぞ」
銕三郎は庄屋を目でまねいた。
女中に、熱い酒をとってくるように言いつけて座をはずさせ、
「明朝いちばんに、問屋場へお手配いただきたい。木更津からの飛脚が吾平(ごへい)あてのものをとどけてきたら、こちらへすぐに持参させるようにと---」
うなずいた幸兵衛が、母屋(おもや)へ手くばりに立った。
銕三郎は、自分の膳の徳利で有田同心の盃を満たし、
「明後日、勝浦港からの荷船にここの浦へ寄ってもらい、木更津まで送らせましょう。明朝のお目覚めは、ごゆっくりでよろしいから、たっぷりおすごしを」
艶っぽい女中にも、もっと酌をするようにけしかけた。
江戸・木更津河岸から乗船したのが一昨日の朝である。
午後は、船問屋をあたった。
宵は、木更津の桜井村の諏訪明神社で、お竜(りょう 32歳)と会った。
【参照】2009年5月21日~[〔真浦〕の伝兵衛] (1) (2)
2日目は、各藩からの届けを受けた。
【参照】2009年5月23日~[〔真浦〕の伝兵衛] (3) (4) (5)
3日目が今宵で、昼間は江見のかかわの出頭人たちに訊き、拘束している吾平を脅しておいた。
【参照】2009年5月23日~[〔真浦〕の伝兵衛] (6)
4日目の明日は、吾平にのっぴきならない証拠をつきつけてあきらめさせる---
5日目のあさっては、荷船と便船を乗りついで、江戸だ。
10日と目論んでいた日程が、意外に早くすみそうなので、ほっとした。
若い女中が、新しい酒をもつて戻ってきたが、目で有田同心を指し、
「ちょっと、母屋へ頼みごとに行ってくる」
立ったそのときである、裏手で、異様な物音がした。
銕三郎は、おもわず太刀をとって裏手へ走った。
庄屋の下僕が、叫んだ。
「吾平が逃げました!」
2,3人の下男が追った。
台所で食事を摂っていた松造(まつぞう 20歳)もかけつけてきた。
「どうしますか?」
「見張りの頭を呼んでくれ」
母屋では、庄屋・幸兵衛が困ったといった表情で立ちつくくしている。
「幸兵衛どの。半鐘をうちなさい。そうでないと、吾平が犯罪を犯す」
「なるほど」
幸兵衛が町役人の家へ使いを走らせ、もう一人の下僕に早鐘をうつように命じた。
「あとの者は、手分けして村中に触れてまわれ。けだものが逃げた。戸締りをしっかりかけて、火の用心をするように」
どこでおぼえたのか、銕三郎の指示は、堂にいっている。
(吾平に先に「奇」を遣われた)
見張りの頭がおそるおそるやってきた。
「吾平は、銭を持っているのか?」
「いいえ。着ているものだけです」
「庄屋どの。吾作の家へ人をやり、吾平がきたら、有りったけの金をわたしてやるように。かりそめにも、捉えようなどと考えてはならぬと」
その使いの者が提灯をもって走った。
半鐘が打たれている。
静まっていた村が、にわかにざわめいてきた。
足もとをよろめかせた有田同心が、女中に支えられ、きょとんとした顔で縁側に立っていた。
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