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2009.05.25

〔真浦(もうら)〕の伝兵衛(5)

「〔大原屋〕さん」
桟橋から渡り板に足をかけた〔大原屋〕茂兵衛(もへえ 44歳)は振り返かえって、銕三郎(てつさぶろう 26歳)の姿を認めると、連れていた若い手代に席をおさえておくように言いつけ、
「何か、まだ、御用でございましょうか?」
柔和な顔ながら不審そうな目つきで桟橋を引きかえしてきた。

「船がでる前に、もう一つだけ、お教えおきいただきたい」
「はい」
「大多喜城下の花町というか、色を売っているところは?」
「新丁(しんまち)のことでございますか?」
「そこは、藩の公認の花町ですか?」
「公認の揚げ屋は10軒ほどですが、新丁の裏手の夷隅(いすみ)川べりに、もぐりの岡場所が数戸あるやに聞いております」
「旅籠は?」
「新丁と並んでいる桜台町(さくらだいまち)に12軒ほど---」
「飯盛女を置いておりますか?」
「8軒ほどは---」
「いや。おおいに助かりました」
「盗人と何か?」
「なに。こころおぼえです。どうぞ、船へ。おだやかな船日和(ふなびより)でありすよう」
「ありがとうございます。それでは乗らせていただきます」

(戦いは正を以(も)って合い(対し)、奇を以って勝つ)
銕三郎は、愛染寺脇の旅籠〔矢那(やな)屋〕へ帰りながらつぶやいた。
(〔真浦(もうら)〕の伝兵衛(でんべえ)よ。きっと、きさまたちの尻尾をつかまえてやる)

大喜多は、内陸部にあるのに、房総でいちばんにぎわっている城下町である。
そこで盗(つと)めをはたらいていないということは、ねぐらと遊び場所にちがいない、とふんだのである。
隠したつもりが、ぎゃくに、しっぽをだしてしまった。

もちろん、銕三郎の勘ばたらきにすぎない。
しかし、人間も動物も、ねぐらは清くしておきたがるものだ。

旅籠へ戻りつくと、待っていた有田祐介(ゆうすけ 31歳)同心が、江戸からの(公儀ご用の)継飛脚便と、船問屋からの連絡(つなぎ)を伝えてくれた。
江戸の火盗改メ・先手鉄砲(つつ)組4番手の組頭・永井采女(うねめ)直該(なおかね 52歳 2000石)配下の狭山(惣右衛門 そうえもん 38歳)与力からの飛脚便による指示は、これから行く、安房(あわ)国朝夷郡(あさいこおり)江見村(現・千葉県鴨川市江見)に分領200石余をもつ川越藩(藩主・松平(大河内)  大和守直恒 なおつね 10歳 15万石)から、おもいのまま探索してよろしいとの許しが得られたと告げていた。

船問屋からの言伝(ことづて)は、江戸から浜勝浦湊へ帰る500石船で、木更津湊に一泊するのが、明朝六ッ半(7時)に錨(いかり)をあげるが、江見浦まで送ってくれるという報せであった。

銕三郎の供者の松造(まつぞう 20歳)が、せっかく聞きこんでてきた売色の家々のある、港浦(富津市)、館山、白浜は、そういうことだと素通りだが、仕方がない。

翌朝。

荷船といっても、500石積みの大きさであった。
勝浦からは、幕府直轄領の年貢米のほかの、薪、菜種、綿などを運んだ。
帰りは、空船に近かった。
江戸から勝浦への荷というと、古着と代官所への紙類しかなかった。
それで、木更津湊の船主へ権利料をはらい、江戸から人を乗せるので、寄港するのである。

木更津湊を出ると、岸は一面に菜の花畑で、黄色いじゅうたんを敷いたようであった。
珍しそうにそれを眺めている銕三郎のかたわらへ、知工(ちく 船の庶事頭)・瀬兵衛(せべえ)がやってきて、
「菜種は、米よりも、何倍も率がよろしいのです」
瀬兵衛は、35歳くらいに見えたが、船頭や水主(かこ)ほどには陽にやけていないので、若く感じさせるのかも。
ほんとうは、もう2つ3つ、上かな。

「菜種油は率がいいといいますと?」
銕三郎が訊きかえした。
「一斗あたりの値が、米の数十倍---ときには100倍近くにもなることもあります。この船での米の運び賃は、100石につき1石1斗(1万1000円)です。菜種油は、1石(10斗)につき300文(もん 1万2000円)です。船荷料だと、かさでは100倍近いひらきになります」

銕三郎は、ものの値段と経費ということを学んだ。
もともと、幕臣(中央官庁の役人)には珍しく原価意識が強かったから、知工・瀬兵衛の話は興味ぶかく聞いけた。

瀬兵衛は、眸(め)をかがやかせて聞く銕三郎に、
(この若いお武家は、金銭についての考えが、そこいらの武家とは毛すじがちがう)
見てとったので、すすんで商売の差配、勘どころを話してきかせた。

銕三郎がこのときに瀬兵衛から得た知識は、20年近くのちの人足寄場で、無宿人たちに自立資金を貯めさせるために与えた仕事の一つとなって生かされた。
菜種油しぼりがそれである。

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(種油〆 『風俗画報』明治31年6月10日号 塗り絵師:ちゅうすけ)

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