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2009.05.26

〔真浦(もうら)〕の伝兵衛(6)

「お帰りは、いつごろごろでございますか? 明後日であれば、ご府内まで、この船便にお乗りいただけますが---」
勝浦湊の荷運び船の知工(ちく 船の庶事頭)・瀬兵衛(せべえ 35歳前後)は、話したりない面持ちであった。

「どうなるか、まだ、公事(くじ)の真似ごとの先ゆきの見通しがたたないのです。こととしだいでば、大多喜城下へまわることになるかもしれませんし」
銕三郎(てつさぶろう 26歳)としても、瀬兵衛の物価、金銀銭の値動きのからくり、出来もののぐあい、船問屋の差配(経営)など、もっと聞きたかった。
しかし、江見村での訊きとりしだいで、日どりがどう動くか、見当もつかなかったことも事実であった。

小島のあいだを縫い、船は江見湊口(現・千葉県鴨川市江見)で停まった。
浅くて、200石船ならともかく、500石船は入湊できないのだ。
湊からはしけが漕ぎより、有田祐介(ゆうすけ 31歳)同心も銕三郎も、舷側におろされた梯子をつたって乗りうつる。
手荷物は、綱でおろされた。

遠ざかる船では、瀬兵衛が舷側に立ち、いつまでも手をふっていた。

訊きとりの場は、東江見村の庄屋・幸兵衛(こうべえ 56歳)の屋敷の内庭に、むしろを敷いてつくられていた。
銕三郎が村役人に、きつく指図した。
「これはなにかの間違いであろう。呼んでいるのは、罪人ではなく、訊きとりの者であるから、床几(しょうぎ)を用意するように。待ち合いのところにも、腰掛けをあてがうよう---」

川越藩の飛び地の分領から逃亡した八助(はちすけ 19歳)と佐吉(さきち 18歳)のそれぞれの父親への質問は、2人の若者の躰つきと面体であった。

八助は、中肉中背だが、右肩下に、幼いころに牛の角でつかれた傷跡と、左小鼻の脇に疣(いぼ)があると、申したてられた。
「〔真浦(もうら)〕の伝兵衛(でんべえ 28歳)とのつながりは---?」
有田同心の詰問に、
「一昨年、真浦村での博打場で知りあったようでごぜえます」
「一昨年といえば17歳ではないか。監督不行き届きであるぞ」
「へえ」

佐吉の父親も見るからに貧しげな作男で、おどおどと、
「背丈は齢のわりによく育ちまして5尺8寸(1m80cm)、女には目がなく、村の40歳の後家のところに入りびたっておったで、村抜けには気がつかねえでした、へえ」

佐吉から、息子・吾平(ごへい 18歳)へ誘いの文(ふみ)がきたと訴えた伍作(ごさく 48歳)に、銕三郎がやさしげな口調で、
「その文だが、どこへ来いと書いてあった?」ね、
「そこまで読むまもなく、あやつがとりあげ、ひっちぎって、洲貝(すがい)川さ、投げこんだもんで---へえ」
「ちら、とも見なかったのかな」
「申しわけねえこんで---」
伍作どん。お前がそのように嘘をついていると、吾平を拷問にかけてでも吐かせることになるのだが---」
しばらく思案していた伍作は、
「なんでも、〔大〕の字が---」
「そうであろう、大喜多であったかな?」
「しか、とは---」

出頭していた全員を帰したあとで、火盗改メ・永井組からの指示で、庄屋の仮牢の物置小屋にいれられていた吾平が呼ばれた。
銕三郎が、のつけから、佐吉をのんでかかった口調で、
吾平佐吉たちは、木更津湊から、江戸へ逃げたぞ」
吾平は、うらめしげな眸(め)で銕三郎をにらんだ。
「ご府内へ入れば、火盗改メの網にかかったようなものだ。3日のうちにお縄になり、打ち首だ」
それでも、吾平は動じない。
「10両盗めば、打ち首というご定法は存じておろう」
横から、有田同心の小者が、叱った。
「お返事も申しあげろ」
それでも、吾平は黙っている。
「なあ、吾平。ご府内で3日のうちに〔真浦〕の伝兵衛一味が、なぜ、捕まるか教えてやろう。お前のせいなのだよ」
吾平の顔に動揺とともにも不審の色が走った。
「こういうわけだ。今日か明日、お前のところに、佐吉から飛脚便がくる。木更津で便船に乗る前に、だしたものだ。ところが、お前は、ここで監視つきで閉じこめられておる。その文は、火盗改メが受けとる。そこに書かれているのは、吾平、お前が江戸で訪ねるはずの〔真浦〕一味の隠れ家だ。文には旅費もそえられていようが、それはお上が没収する。つまりは、お前が火盗改メを手引きしたと、〔真浦〕の伝兵衛佐吉もおもう。お前の命は、あの盗人たちの仲間の手の中にあるというわけだ」
「そんな、阿呆な---」
吾平から悲鳴がほとばしった。

吾平。助かりたかったら、〔真浦}たちの打ち首を一日でも早めることだ」

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コメント

うれしいですねえ、継飛脚、速飛脚、町飛脚、継立、問屋場などと当時の文くばり制度を正しく書き分けていただいて。

現代の文くばりをしているあつしにゃあ、なんとも嬉しくて、つい、文をお送りしやした。

投稿: 文くばり丈太 | 2009.05.27 05:33

>文くばりの丈太 さん
ハンドル・ネームは、お仕事がらでたものなんでしたか。
そうではないかと、想像はしていましたが、まさに、ぴしゃりとは!
逓信博物館(まだあるんだろうな)へでもいって、勉強させていただきます。
文くばり丈太さんに笑われないように。
ご指導ください。

投稿: ちゅうすけ | 2009.05.27 14:44

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