多可が来た(3)
その夜、銕三郎(てつさぶろう 14歳 のちの平蔵宣以 のぶため)は、なかなか寝つかれなかった。
多可(たか 14歳 この日から長谷川家の養女)には、ついに、手鏡の用い道は告げなかった。いや、告げなくて助かった。
「多可は、手鏡は持参しておろうな」
「はい。母の形見のものを」
「うん。やがて、化粧もおぼえようほどに、な」
銕三郎がそういってごまかした時、母・妙(たえ)の呼び声に救われた。
「いつまで、もたもたしているのです。殿さまがお帰りになりましたよ」
銕三郎は、寝床にいて、兄妹の間柄について夢想した。
多可も14歳である。実の兄妹なら、同じ年に生まれたことになる。年子(としご)より間隔がつまっている。町方(まちかた)の長屋の子にはそのような例もないことはないが、武家の場合はほとんど、脇腹の子との兄妹になる。
もっとも、その場合でも、一つ屋根の下で育つことも珍しくはない。
そうした場合---と、銕三郎は考える。
幼い時は、風呂あがりなどで、互いに裸を見合っていよう。
(まあ、14歳にもなれば、いささか照れくさかろうから、躰を見合うこともすまいが---)
(ましてや、真の兄妹でも、「お前、下の芝生は生えそろったか」などと訊くことはあるまい)
(しかし、なんだな。一線をはさんで、左右になびくように生えているいる乙女のほうが、風情はまさるな---などと、井上立泉(りゅうせん)先生も余計な暗示をお与えくだされたものだ。
立泉先生は、患者の躰をごらんになったり、おさわりになるのが商売だからいいが、こちらはそんな機会がないから---)
そこまできて、銕三郎は、
(それにしても、多可の躰は、柳の小枝ほどに細い。ひきかえ、芙沙の豊かで張りのあった太もも。薬指を導かれた秘部の茂り。割れ目の湿り---)
想い出すと、銕三郎のものは、たちまち、熱く息づいた。
(仮の母御といい、芙沙は、これをやさしく愛撫してくれたなあ---)
いつのまにか、お芙沙が、芙沙になっている。そのほうが、いかにも自分だけのものに思えるのだ。
年々歳々 花相(あい)似たり
歳々年々 人同じからず
呟いてみたが、芙沙は消えなかった。ますます鮮明によみがえってきた。
(歌麿『若後家の睦』部分 芸術新潮2003年1月号)
---と、芙沙の姿態が、塾に誰かがもちこんだ秘画に置き換わった。
(いかぬ。芙沙に申しわけない)
理にあわぬ理を、少年らしくつけた銕三郎は、行灯の灯を消し、無理に目をつむって、妄想をふり払おうとした。
【参照】
お芙沙とのある夜の出来事2007年7月16日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(ふさ)]
2007年7月24日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(2)]
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