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2007.10.29

多可が来た(2)

多可には、兄者はいないのか?」
正座し、一人前に三つ指をついて見上げている多可(たか 14歳 この日から長谷川家の養女)と、視線をあわせるためにかがみこんだ銕三郎(てつさぶろう 14歳 のちの平蔵宣以 のぶため)が訊く。
「はい。弟と妹が一人ずつ、藩屋敷の長屋で父上の帰りを待っております」
「そうか。それでは、今日からは拙が兄となってやろう。ほんとうの兄だぞ、義理兄ではなく---」
「かたじけのうございます」
「ほんとうの兄ゆえ、どんな時にも、妹の多可をかばってやる」
「心強いことです」
「その代わり、多可も、兄の言うことにはさからわないな」
「さからいませぬ」
「うむ---」
「なにか?」
「いや。いまはその多可の心根だけ、確かめておけばよい」

じつは、銕三郎は、新銭座に住む医師・井上立泉(りゅうせん)に言われたことを、多可で試してみようと思ったのだった。
表番医の立泉は、父・平蔵宣雄(のぶお 41歳)の親友である。宣雄の義兄の修理宣尹(のぶただ)が病床にあったとき、宣雄が頼みこんで診立ててもらって以来の、深いつき合いとなっていた。

もちろん、形式的には宣雄の正妻であった波津(はつ 享年34歳)の脈もとってもらった。

先日の銕三郎の駿州・田中城への旅立ちのときにも、道中薬と餞別をとどけてよこした。
餞別返しに、小田原土産の〔ういろう〕を持参した。
その銕三郎の下腹部を、それとなく、診察した。
宿場の飯盛女から悪い病気をもらっていないか、父・宣雄がひそかに検診を依頼したのである。

その時、首、肩、胸、腹---と触診。
「ふむ。大人への兆しの、股間の芝生も、なかなかに生えそろってきましたな。しかし、なんだな。一線をはさんで、左右になびくように生えているいる乙女のほうが、風情はまさるな。男の子のは、勝手気ままな生えぶりだからの」
と呟いた。

(一線をはさんで、左右になびくように生えているいる乙女の---)が、強烈に銕三郎の耳に残ったのであった。
三島で初体験させてくれたお芙沙は、一線を指でやさしくなぞらせただけで、しかと見せてくれたわけではなく、性体験も積んだ若後家でもあった。

その乙女がやってきた。
多可は、兄になったばかりの銕三郎のいいつけには、さからわないといっている。
多可は、柳の小枝のように細い体つきとはいえ、14歳だ。茂みもそれなりに芽をだしていよう。いや、そよぐほどに育っいるかも。
(一線をはさんで、左右になびいているいるか、確かめたい)。

最近のように、ギャルの素っ裸の写真が雑誌に載る時代ではなかった。

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(歌麿 『歌まくら』部分 芸術新潮2003年1月号より)

いや、いかになんでも、銕三郎が己れの目で乙女の秘部を覗くのははばかられる---見るだけでは納まらなくなるとも限らない。
どっちにしても、そのことが両親へ知れたら、それこそ、この家にはいられない。
だから、多可の口を厳重に封じてから、多可自身にたしかめさせるのだ。
多可だって、未通の乙女だ。乳房のふくらみが遅いことは気にしても、自分の割れ目の周囲を仔細に観察したことはあるまい。
いや、割れ目ではない。
それをはさんで左右にそよいでいる芝生だ。
多可にいいつけて、手鏡で確かめさせ、耳打ちさせるのだ。

多可は、手鏡は持参しておろうな」
「はい。母の形見のものを」
「うん。やがて、化粧もおぼえようほどに、な」

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