多可が来た(4)
翌朝、銕三郎(てつさぶろう 14歳 のちの平蔵宣以 のぶため)の目覚めは、昨夜の寝つきの悪さにもかかわらず、思ったより早いかった。
といっても、初夏の七ッ半(5時)だから、裏庭の樹々もすっかり明るくなっている。
井戸端で顔を洗っていると、箒(ほうき)を手にした太作(たさく 50過ぎ)が挨拶にきた。
「若さま。おはようございます。昨夕は、私どもまでお祝いものをいただき、ありがとうございました」
「お祝いもの---?」
「於多可(たか 14歳)さまのお家入りの赤飯とご酒で---」
「酒好きの太作が満足するほどもあったかな?」
「もう、齢(とし)ですから、それほどには飲めません。若い六助などはすっかり酔っておりました」
「それはそうと---」
耳へ口を寄せた太作が、声をひそめた。
「あの於多可さまというお嬢さまは、よくできたお方でございますな」
「なにか---」
「もう半刻(はんとき 1時間)も前に洗面をおすませになり、飯炊きのしげ婆(ばあ)に、手伝うことはないかとおっしゃって、あの口やかまし婆を、恐れ入らせてしまわれました」
「はっははは。この銕(てつ)をすら平気でやりこめる、しげ婆を、か。はっははは。これは快、快」
「しげ婆が恐縮すると、そのまま、大川の満ち潮を見に---」
「育ちが吹上の藩屋敷と言っていたから、大川のような川が珍しいのであろうよ」
「ところで、太作。陸奥の守山とはどのあたりだ?」
「福島へ通じています道中の途中と承知しておりますが---」
「東海道でなくてつまらぬ」
「若さま!」
「わかっておる。三島宿でのことは、もう、あきらめておる」
「じつは---」
あたりを見まわしてから、太作がまた口を寄せてきた。
「三島の本陣・樋口伝左衛門どのから、殿さまあてのお礼の干物にそえられて、手前への書状がありました」
「芙沙の行方が知れたのか?」
「いえ。そのことには触れておりませんで、若さまはつつがなくお過ごしかと---」
「そんなつまらないことを訊くために、わざわざ書状をか」
「若。人の情けを軽くお思いなってはなりませぬ」
「そうであった。太作からくれぐれもお礼を述べておいてもらいたい。ついでに---」
「ついでに---?」
「いや---いい」
太作は、主人の依頼だったとはいえ、銕三郎にお芙沙を引き合わせてよかったのか、決断がつかないまま、銕三郎から目をそらして言った。
「若。ご覧ください。朝焼けのちぎれ雲が、あんなに美しゅうございます」
【参照】
お芙沙とのある夜の出来事2007年7月16日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(ふさ)]
2007年7月24日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(2)]
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