多可が来た(6)
朝食を終えたあとの茶を手に、平蔵宣雄(のぶお 41歳 小十人頭)が、今朝から相伴することになった銕三郎(てつさぶろう 14歳 のちの平蔵宣以)へ、思いついたように、言った。
「銕(てつ)よ。どうだろう、明朝から、多可(たか 14歳 きのうから宣雄の養女)に素振りを教えてやってくれないか」
「はぁ。多可に素振りをでございますか?」
「銕に嫌といわれたら、どこぞ、町道場をさがさねばならぬが、たかが素振りだけのことに、それは無駄遣いのような気がしてな」
「嫌---とは申してはおりませぬ。ただ---」
「ただ---なんじゃ?」
{なにゆえ---かと---」
「わけか。多可の躰つき、14歳の娘にしては、細すぎると思わぬか?」
「細すぎます」
「で、素振りでもさせれば、発育もおっつこうと思ってな」
「父上がさようなお考えなれば、教えましょう」
「くれぐも言っておくが、組み太刀などは無用だぞ。あくまでも素振りのみ。女剣士などつくるつもりはない」
「承りました」
銕三郎は、14歳になるすこし前から背丈がのびて、5尺4寸(1メートル62センチ)ほどになった。
多可は、5尺(1メートル50センチ)あるかなしだった。
銕三郎は、納屋から古い木刀をとりだして寸をつめ、細めに削りはじめた。
老僕の太作(たさく 50過ぎ)が見とがめた。
「若。なにごとでございまするか?」
父・宣雄に命じられて、多可の素振り用の木刀をつくっている、と答えると、
「軽くしたのでは、鍛錬になりませぬ。寸も太さも、それぐらいでよろしゅうございましょう」
木刀は、全長2尺2寸(66センチ)で、普通の大刀と脇差の中間の長さだった。
さらに銕三郎は、母親に訊いた。
「2年前までの稽古衣は残っておりましょうか?」
妙は、あるはずだが、と答えたあと、新しいのを求めて与えるほうがいいのでは---と首をかしげた。
「いえ、いつ止めることになるかもしれない素振りです。当座は、お下(さが)りでよろしいかと---」
「多可はね、丈はたしかに小柄だけれど、足袋は私のものが間に合いませぬ。背丈もおっつけ伸びるでしょう」
と笑った。
さすがに、女親らしい観察であった。
「着てみろ」
銕三郎は、母が探し出してくれた古く小さな稽古衣と袴を、多可に渡した。きちんと洗って仕舞ってあった。
多可は、別室で着替えた。
「ふむ。襷(たすき)がいるな。母上にそう申して、みつくろってもらえ。明朝の稽古には、その剣術衣に襷をかけて現れよ」
たかが素振りなのに、なんだか、良師にでもなった気分は、つぎの多可の言葉でやぶられた。
「この刺し子の剣術衣には、兄上の汗の匂いがしみついていて、なんだか妙です」
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コメント
多可の素振り用の木刀は2尺2寸にしましたか
身長からすると扱いやすかったでしょう。
私は2尺3寸(現在の標準)でした。
銕三郎は若い時から女性に心配りがあったのですね(特に多可に?)
投稿: みやこのお豊 | 2007.11.02 21:29