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2011.02.27

菅沼新八郎の初見

「殿のご帰館!」
先触れが門の外で声をはりあげた。

家治(いえはる 45歳)に初見(おめみえ)した当家の主(あるじ)・新八郎定前(さださき 18歳 7000石)が帰ってきたのであった。

菅沼一族のうち、奉書をまわされた諱(いみな)に「」がついた縁(えにし)の濃い家の当主たちがしきたりどおり、麻裃をつけて式台に着座し、出迎えた。

こういう時の序列のきまりにしたがい、年齢順に記すと、

菅沼主膳虎常(とらつね 67歳 小普請支配 700石)
菅沼左京定寛(さだひろ 39歳 舟手 3000石)
菅沼新三郎定喜(さだよし 20歳 2020石 中奥小姓)
菅沼藤十郎定富(さだとみ) 11歳 2020石)
(このうち、虎常定富の養父・和泉守定亨は、当ブログに登場ずみである)

平蔵(へいぞう 36歳)は、剣の師ということで、竹尾道場の主とともに、その末座につらなっていた。

それぞれに祝意を表して酒宴の席へ移り、定前が着替えてくるのを待った。

それまでの座つなぎに、『実紀』の天明元年8月6日の項に初見した者28人とし、その首頭に交代寄合・菅沼新八郎を記し、そのあとにつづいた、平蔵にもかかわりがありそうな4人をあげておく。

書院番頭
太田駿河守資倍(すけます 53歳 5000石)
 子・鉄五郎資承(すけつぐ 20歳)

西丸書院番頭
小堀下総守政明(まさあき 45歳 5000石)
 子・式部政共(まさとも 20歳)


渋谷隠岐守良紀(よしのり 51歳 3000石)
 子・采女良寛(よしひろ 32歳)

西丸小姓組番頭
酒井紀伊守忠聴(ただし 50歳 3000石)
 子・政太郎忠笴(ただもと 17歳)

新八郎が肩衣をとった袴姿で着座すると、客たちもそれにならい、くつろいだ。

酒が注がれた。
給仕しているおんなの一人に見覚えがあった、
(きく 22歳)であった。
2年前に新八郎の子を産んだはずであった。
新八郎の幼名の藤次郎をつけたと聞いたが---。

参照】2010年11月19日~[藤次郎の難事] () () () () () () (

がまわってき、なつかしげに笑顔で酌をした。
「和子(わこ)は---?」
とたんに笑顔が消えた。

声も消えいるほどに細かった
「育ちませんでした」
「それは、訊かでもがなであった」
平蔵も、まわりに聞こえないようにつぶやいた。

「お手水(ちょうず)でございますか?」
とつぜん、おがいい、銚子をおいて立った。
涙顔はこの座にふさわしくないとおもったのであろう。

「うむ。案内をたのむ」
平蔵も受けた。

廊下へでると、おは涙目を手巾で押さえ、
「その節は、おこころづかい、かたじけのうございました」
「いまも、この屋敷に---?」
「いいえ。東本所四ッ目の別宅で、殿のお渡りをお待ちしております」

菅沼家の四ッ目の別宅へは、新八郎のいまは故人となった実母・於津弥(つや 35歳=当時)に誘われたことがあった。

参照】2010年4月5日~[菅沼家の於津弥] () (

津弥も、きょうの新八郎の凛々しい当主ぶりを見たかったであろう。

新八郎どのは当家にとっても、お上にとっても大切なお人だ。大事にな」
「はい。こころいたしまして---」

「次の和子も、やすがて、さずかろうほどに---」
うなずいたおの頬に紅がさした。

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