菅沼新八郎の初見
「殿のご帰館!」
先触れが門の外で声をはりあげた。
家治(いえはる 45歳)に初見(おめみえ)した当家の主(あるじ)・新八郎定前(さださき 18歳 7000石)が帰ってきたのであった。
菅沼一族のうち、奉書をまわされた諱(いみな)に「定」がついた縁(えにし)の濃い家の当主たちがしきたりどおり、麻裃をつけて式台に着座し、出迎えた。
こういう時の序列のきまりにしたがい、年齢順に記すと、
菅沼主膳虎常(とらつね 67歳 小普請支配 700石)
菅沼左京定寛(さだひろ 39歳 舟手 3000石)
菅沼新三郎定喜(さだよし 20歳 2020石 中奥小姓)
菅沼藤十郎定富(さだとみ) 11歳 2020石)
(このうち、虎常と定富の養父・和泉守定亨は、当ブログに登場ずみである)
平蔵(へいぞう 36歳)は、剣の師ということで、竹尾道場の主とともに、その末座につらなっていた。
それぞれに祝意を表して酒宴の席へ移り、定前が着替えてくるのを待った。
それまでの座つなぎに、『実紀』の天明元年8月6日の項に初見した者28人とし、その首頭に交代寄合・菅沼新八郎を記し、そのあとにつづいた、平蔵にもかかわりがありそうな4人をあげておく。
書院番頭
太田駿河守資倍(すけます 53歳 5000石)
子・鉄五郎資承(すけつぐ 20歳)
西丸書院番頭
小堀下総守政明(まさあき 45歳 5000石)
子・式部政共(まさとも 20歳)
同
渋谷隠岐守良紀(よしのり 51歳 3000石)
子・采女良寛(よしひろ 32歳)
西丸小姓組番頭
酒井紀伊守忠聴(ただし 50歳 3000石)
子・政太郎忠笴(ただもと 17歳)
新八郎が肩衣をとった袴姿で着座すると、客たちもそれにならい、くつろいだ。
酒が注がれた。
給仕しているおんなの一人に見覚えがあった、
お菊(きく 22歳)であった。
2年前に新八郎の子を産んだはずであった。
新八郎の幼名の藤次郎をつけたと聞いたが---。
【参照】2010年11月19日~[藤次郎の難事] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
お菊がまわってき、なつかしげに笑顔で酌をした。
「和子(わこ)は---?」
とたんに笑顔が消えた。
声も消えいるほどに細かった
「育ちませんでした」
「それは、訊かでもがなであった」
平蔵も、まわりに聞こえないようにつぶやいた。
「お手水(ちょうず)でございますか?」
とつぜん、お菊がいい、銚子をおいて立った。
涙顔はこの座にふさわしくないとおもったのであろう。
「うむ。案内をたのむ」
平蔵も受けた。
廊下へでると、お菊は涙目を手巾で押さえ、
「その節は、おこころづかい、かたじけのうございました」
「いまも、この屋敷に---?」
「いいえ。東本所四ッ目の別宅で、殿のお渡りをお待ちしております」
菅沼家の四ッ目の別宅へは、新八郎のいまは故人となった実母・於津弥(つや 35歳=当時)に誘われたことがあった。
【参照】2010年4月5日~[菅沼家の於津弥] (1) (2)
於津弥も、きょうの新八郎の凛々しい当主ぶりを見たかったであろう。
「新八郎どのは当家にとっても、お上にとっても大切なお人だ。大事にな」
「はい。こころいたしまして---」
「次の和子も、やすがて、さずかろうほどに---」
うなずいたお菊の頬に紅がさした。
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