藤次郎の難事
「竹尾道場から密かにお呼びだしがあり、剣師から、ちかごろ、若の稽古が上(うわ)のそらのようであるがと、こころあたりを訊かれました」
新大橋西詰の広小路に面して広い屋敷をかまえている7000石の大身・菅沼家の用人・森谷幸右衛門(こうえもん 40歳)が、思案にあまったといった面持ちで口を切った。
三ッ目通りの長谷川屋敷へ、下城の帰路、「お立ち寄りいただきたく---」との使いがきたのは3日前であった。
今朝、登城の途中に松造(まつぞう 27歳)に、夕べに伺うとの口上を伝えさせておいた。
表座敷へとおされると、上掲の愚痴であった。
菅沼家の若とは、継嗣・藤次郎(とうじろう 15歳)であった。
遺跡相続は7年前---安永元年(1772)3月10日、8歳のときにすんでいた。
その10日前に目黒・行人坂の大火事があったが、さいわいにも、菅沼家は類焼をまぬがれていた。
11歳のときに平蔵が剣の手ほどきをおこない、いまだにときどき、筋を矯(ただ)しにきていた。
「拙も公務多忙でしばらく稽古の立会いを省略しておったが、藤次郎は、本日は---?」
「学習塾から、まだ、お戻りではございませぬ」
「それなら、昼前に帰っておるはずだが---奥方さまは--?」
「2日前から四ッ目の下屋敷でご静養中で---」
於津弥(つや 40歳)は、10年前に夫・定庸(さだつね 享年35歳)を逝かせていた。
(侍女・お菊(20歳)もいっしょですな---)
とは、訊くだけ野暮であった。
「そういえば、ご一門の奈良ご奉行・和泉守(定亨 さだゆき)さまがお逝くなりになったような---」
「はい。公けには8月7日の逝去となっておりますが、じっさいは---」
「遠国奉行だった亡父のことで事情はわかっておる。実際に息をお引きとりになったのは---?」
「7月中旬のはじめとか---」
「うむ」
【参照】2010721~[藤次郎の初体験] (1) (2) (3) (4) (5)
2010年5月20日[藤次郎の初恋]
平蔵は、しばらくのあいだ、藤次郎の帰りを待ってみたが、らちがあかないので、森谷用人に、雑談のあいだに、なにげないふうをよそおい、かつて侍女頭をしていた佐和(さわ 34歳)の生家---通り旅籠町の乾物屋の屋号を訊きだした。
用人は、藤次郎が佐和によって初体験をしたことには気づいているふうはなかった。
(おれの亡父は、男子の秘事として、父親といえども触れてならないこととしておくべきだと仰せられた。だから、おれも藤次郎の秘事は、実母・於津弥へも洩らさなかった)
【参照】2007年7月15日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(ふさ)] (2)
2007年8月3日~[銕三郎、脱皮] (1) (2)
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コメント
佐和が奈良から孵府してきましたか。19才の年齢のへだたりといいましても「セカンド・バージン」なんてドラマがヒットしているいまの見方では、どうってことはないでしょう。
もっとも、15才の少年で、佐和がほんとうに満足するかどうかはちょっと---。
藤次郎のほうは、それほど体験していないから、佐和のリード次第でしょうが。
投稿: mine | 2010.11.19 05:30
「セカンド・バージン」、観てます。
そっかあ、佐和さんと藤次郎くんのケースも「S.V」なんですね。
平蔵さんがどうさばくか、興味津々。
投稿: tsuko | 2010.11.19 05:43
>mine さん、tomo さん
ぼくは、テレビというものは、NHKのニュースをたまに見るくらいで、ドラマとか歌番などは、この数年、のぞいたことがないほど、世事にウトくなっています。
ははあ、女性が齢上で、男性が齢下で、しかも年齢がうんと離れている間柄のラブを「セカンド・バージン」というんですか。
気持ちとしては、女性は2度目のバージンをあげるみたいに純粋なんですね。
まあ、少年は年増女性から手ほどきをうけるのが理想的とおもっていますし、年増の未亡人が性を解放し楽しむのも賛成ですが、このブログの場合、藤次郎の難事の相手が佐和かどうか。
投稿: ちゅうすけ | 2010.11.19 07:49