浅野大学長貞(ながさだ)の異見(2)
女将・お蓮(はす 31歳)が、流し目を長野佐左衛門孝祖(たかのり 31歳 600俵)にくれたのを、平蔵(へいぞう 31歳)は見のがさなかった。
(人の好みはさまざまというが、お蓮の好みは、佐左(さざ)のような男か---岸井左馬之助(さまのすけ 31)とは、どこが似ているのであろう?)
お蓮は、左馬之助と親しく付きあっていたころは、雑司ヶ谷の鬼子母神脇の料理茶屋〔橘屋〕の座敷女中をしており、お雪(ゆき)という名であったが---。
夜中に、家の中をふらふらとさまよう心の病いは、すっかり癒っているのであろうか。
【参照】2008年10月17日~ [〔橘屋〕のお雪] (1) (2) (3) (4) (5) (6)
いまは、〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛(いちべえ 50代半ば?)の世話になっている。
【参照】2010年2月11日~[〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
【参照】2010年6月5日~[小料理〔蓮の葉〕のお蓮] (1) (2) (3) (4) (5) (6)
もし、佐左がひょんな気でもおこしたら、盟友としては放っておけなくなるが---。
気を先ばしらせている平蔵には頓着しないで、お蓮は、浅野大学長貞(ながさだ 30歳)に問いかけていた。
「四段目で、判官(ほうがん)のお駕篭を見送った由良之助(ゆらのすけ)が、残りの諸士に告げたなかに、おん弟・大学さまによるお家再興のお願いといった科白(せりふ)がありましたっけ」
野暮な解説を加えると、歌舞伎の竹田出雲『仮名手本忠臣蔵』の四段目のハイライトは、切腹の検死役としてやってきた石堂馬之丞(立役 たちやく 白塗り)と、薬師寺次郎左衛門(敵役 かたきやく 赤塗り)を待たせ、判官は国家老・大星由良之助を待ちこがれている。
判官が腹へ刀を突き入れたとき、ようやく、かけつけてきた由良之助に、最後の一句を告げることができた。
「この九寸五分は汝(なんじ)への形見---」
お蓮が口にしたのは、判官の内室・顔世(かおよ)午前や腰元、諸士が遺骸をのせた駕篭に付き添って菩提寺へ去ったあとの場面であった。
史実では、内匠頭長矩(ながのり 35歳)は、即日切腹を申しつけられ、預けられた一ノ関藩の愛宕下の藩邸の小書院前の白洲に筵(むしろ)を敷いて畳を裏返して据え、毛氈(もうせん)で蓋った座で割腹したと、戸板康二さん『忠臣蔵』(東京創元社)にある。
一ノ関藩から、遺骸を引きとるように、舎弟・大学長広(ながひろ 34歳)へ言いわたしがあり、本邸から要職の者が出頭して泉岳寺へ埋葬した。
【ちゅうすけ注】この事実からの推測だが、兄から新しく開拓した領内の新田3000石分を分与されていた長広は、築地の上屋敷の一隅に別棟を建てて住まっていたのではなかろうか。
事件後は、閉門して謹慎していたが、宗家の領地が収公されるとともに、長広の新田分も収められた。
翌年の夏に閉門は許されたが、親藩の広島藩(42万6000石)へ蟄居を命じられた。
【参照】2010年5月17日[浅野大学長貞(ながさだ)の憂鬱] (1)
それで類推したのだが、長男・長矩と次男・長広は、1歳ちがいの同腹である。
母は正妻で、内藤飛騨守忠政(ただまさ 享年57歳 伊勢国鳥羽藩主 3万5000石)の四女。
兄と3人の姉とすぐ下の弟・和泉守忠勝(ただかつ 29歳で乱心)が同腹。
忠勝の乱心は、江戸城・松の廊下での事件の25年前の延宝2年(1674)夏、増上寺で厳有院(四代・家綱)の法会に役していた忠勝が、永井信濃守尚長(なおなが 27歳 丹後国宮津藩主 7万石)に斬りかかり、殺害した。
理由はいまのところ不明で、忠勝の突然の乱心とされ、家は断絶となった。
浅野家の長矩と長広は、忠勝のすぐ上の姉と同じ血を引いていた。
その血が、内匠頭長矩にも---というのではなく、ただ、それだけのことである。
「芝居を見ていないので、そのことは知らないが、内蔵助(大石良雄 42歳=元禄14年)どのは、事件後の早々に、藩士を江戸へ送り、わが祖・長広に家再興の働きかけをすすめたようだが、祖父も親藩の芸州も、幕府の思惑をおもんぱかり、躊躇したと伝わっておる」
「どうしてでしょう? 喧嘩両成敗が天下のご法度(はっと)でございましょう?」
【参照】2010年7月28日~[浅野大学長貞(長貞)の異見] (1)【参照】2010年7月28日~[浅野大学長貞(長貞)の異見] (1) (3) (4) (5) (6)
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