小料理〔蓮の葉〕のお蓮
「殿。〔箱根〕からの文です」
西丸・大手門からでたところで、松造(まつぞう 24歳)が権七(ごんしち)からの結び文をわたした。
あたりの者の耳をはばかり、〔箱根屋〕の「屋」を欠かせ、権七の名もいわないまでに、こころえが深まってきている。
銕三郎(てつさぶろう)時代に若党になってから足かけ5年なる。
【参照】2008年9月7日~[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜〕 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
2008年9月22日[大橋家の息女・久栄] (4)
勘がよく、機転も利くたちだから、そのうち、供侍にと、平蔵(へいぞう 30歳)はかんがえている。
結び文をひらくと、型どおりの真面目な筆づかいで、
「高橋(たかばし)の北詰の西側横丁の小料理〔蓮の葉(はすのは)〕でお待ちしとります」
(また、〔蓮の葉〕か。あそこは千住の元締・〔花又(はなまた)の茂三(しげぞう )の遊び場所かとも推量していたのだが---)
前回、〔蓮の葉〕に寄ったときには、ほかには〔音羽(おとわ)〕の元締・重右衛門(じゅうえもん 49歳)と品川一帯をとりしきっている〔馬場(ばんば)〕の与佐次(よさじ 48歳)がいたが、だれの馴染みの店かを聞きもらした。
(権さんだったとは---? 女将・お蓮(はす 30歳)の金主をしらべてみてくれと頼んだのは、失敗だったかもな)
新大橋をわたったところで、松造だけをのこして、供を帰した。
「松造。今夕も、客の付き人の品さだめを頼むぞ」
「こころえております」
〔蓮の葉〕の店先に置かれていた陶製の大甕(おおがめ)の蓮が白い蕾を伸ばしていた。
(蕾なものか。お雪---いや、いまはお蓮、あの大年増は白い蓮花などではない、さかりがすぎそうなのを、精一杯ふみとどまっている濃い桃色の蓮花だ)
出迎えたお蓮は、平蔵の尻をおすように掌をあてて案内する。
単衣の季節なので、じかに掌でふれている感触が伝わってくるのをはぐらかすように、
「店先の大甕だが、ぼうふらがわかないか?」
「金魚を入れております」
乳房を腕におしつけてもいた。
「銕(てつ)さま」
部屋の手前で尻をつかんで足をとめ、声をひそめ、耳もとで
「〔橘屋〕のことは、内緒にしといてくださいな」
「わかった」
どういう意味なのか、尻をさらにきつくつまんだ。
焚いている蚊やりの匂いがながれている部屋には、権七のほかに、〔音羽(おとわ)〕の元締・重右衛門(じゅうえもん 49歳)と目玉がやけに大きい30男が待っていた。
「〔花園(はなぞの)〕のが、長谷川さまにどうしてもお礼を申したいといいますので---」
重右衛門が目玉を引きあわせた」
「お初です。手前、肥田飛(ひだとび)と申しやす。以後、ご昵懇(じっこん)におねげえいたしやす」
目玉同様に、並みの町人なら怖がるほどの太い声であった。
「長谷川です。お礼をいわれるようなことは、なにもしておらぬが---」
「お口ぞえで、火盗改メの菅沼(藤十郎定亨 とおる)組頭さまから、お手札をいただけやした」
【参照】2010527~[火盗改メ・菅沼藤十郎定亨(さだゆき)] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
「早速の手柄であったそうだな---」
「まぐれでやす」
それでも、肥田飛は丸い鼻をうごめかした。
「ま、これからも、〔音羽(おとわ)〕の元締と、こころをあわせ、お上のために役だってもらいたい」
「合点でやす」
酒と料理が運ばれてきた。
お蓮が主客の平蔵に酌をしようとしたら、肥田飛が割りこんで銚子もぎとり、
「長谷川さま。お盃をいただけやすか?」
銚子を平蔵の膳においた。
「肥田飛の。わしは盃をやったのもらったのということには縁のない男でな。そのことは、権七どんや〔音羽〕の元締に訊いてもらってもわかる。しかし、そなたがぜひにもというのなら、そなたの流儀にしたがおう」
平蔵が銚子をとった。
重右衛門が、ほっと息を吐いた。
「いただきやす」
平蔵が盃をわたし、注いでやった。
呑み終えた肥田飛が口をつけたところを指でぬぐい、
「ありがとうごぜえやした。お注ぎさせていただきやす」
平蔵は、こだわらないで受けた。
「ところで、肥田飛の。堅めをしたわしの頼みを聞いてくれるか」
「なんなりと---」
平蔵は、お蓮に寸時、座をはずすようにいい、外に洩れないような低い声で、
゛千駄ヶ谷の鳩の杜(もり)八幡宮もシマのうちか?」
一応は---との応えをえると、それでは近くの仙寿院(せんじゅいん)もさようか、とたしかめ、
「庭が新日暮(ひぐらし)の里と評判の、あの日蓮宗の寺院でごぜえやす。人出のか多いところは、あっちらのシマでやす」
(千駄ヶ谷 仙寿院庭中 『江戸名所図会』
塗り絵師:ちゅうすけ)
「うむ。その寺の惣門から向かいの小川ぞいに10間ほど南へさがったところの小橋をわたったとっかかりに〔蓑安(みのやす)〕という、あのあたりにしてはちょっと瀟洒な藁屋根の茶店がある。亭主の嘉平(かへえ)は、60近い爺っつぁんだ。その店に、ときどき、気の利いた手飼の誰かをやり、おまさ というおんな---といっても20歳前だが、おまさが来ていないか探ってもらいたい」
おまさは、世話になった人のむすめだが、父親の死とともに行方がしれなくなっているというと、権七がうなずいた。
「嘉平爺っつぁんに気どられないようにやってほしい」
「承知いたしやした。では、ついでに、あっちのほうのお願いも---」
肥田飛の望みは、[化粧(けわい)読みうり]にひと口乗りたいというのであった。
「それは、板元の〔箱根屋〕の権七どんと、元締衆と、書き屋の〔耳より〕の紋次(もんじ 32歳)どのの合意次第だ。みなの衆を納得させることだ」
【参照】2010年6月5日~[小料理〔蓮のお蓮] (2) (3) (4) (5) (6)
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