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2010.05.28

火盗改メ・菅沼藤十郎定亨(さだゆき)(2)

「ところで、長谷川どの。香具師の元締への申し渡しだが、名簿は---?」
訊いたのは、先手・弓の2番手で、いま、火盗改メに任じている菅沼組の筆頭与力・脇屋清助(きよよし 47歳)であった。

「町方のことゆえ、町奉行所に手控えがありましょう。門前の盛り場のことは、月番の寺社のお奉行のところに---」
「なるほど。しかし、町奉行所の手を借りると、せっかくの案が先方に筒抜けになり、お株を奪(と)られてしまいます」

(非常のときというのに、この人たちは、どこまで、縄張り争いをするのか)

そのおもいは伏せ、平蔵(へいぞう 30歳)が、
「深川・黒船橋北詰に、〔箱根屋〕という駕篭屋業を営(いとな)んでいる権七(ごしち)という誠実な男がおります。拙の大伯父で、先手・弓の7番手---」
といいかけたところで、菅沼藤十郎定盈(さだみつ 46歳 2024石)が受け、、
「組頭の長谷川太郎兵衛正直(まさなお 67歳 1450石)どのですな」

太郎兵衛正直は、菅沼定亨よりも家禄はやや低いが、先任だから、序列は高い。
太郎兵衛の先手組頭の拝命は14年前からで、菅沼定亨は昨年の晩春であった。
火盗改メの経験も、正直は通算で21ヶ月、定亨のほうは今月を入れて15ヶ月足らず。

「はい。大伯父が火盗改メを拝命していたころ、権七もちょっとした手柄をたて、ご褒美をいただいております。その者へお問い合わせになれば、それ相応の名簿が得られましょう」

脇屋筆頭与力が懐紙に、権七の名と屋号を記した。
明日にでも、本所・深川担当の同心が訊きに立ち寄るであろう。
(これで、権七の顔が、また一つ、広くなるというもの---)

里貴(りき)が戻ってきた。
眦(まなじり)のあたりの桜色が白い面持ちから退(ひ)いていないところをみると、ほかの座敷へあいさつにまわったのではなく、手洗いあたりで下腹のほてりを冷ましていたのであろう。
(躰が馴染みあってきた分、感じやすくなったようだ。そういう熟(う)れた齢ごろなのかもしれない)

新しい銚子から、菅沼組頭には形だけ酌をし、脇屋へ差し向けた。
脇屋筆頭は、あわてて懐紙をしまい、両手で受ける。

「組頭さま。香具師の元締が集める夜廻りに、きつく申しわたしてくださいますよう。盗賊は徒党をくみ、刃物ももっておりましょう。素人が3人や5人で捕縛できるものではありませぬ。捕縛のこと、きっといましめ、さとられないように、一人でいいから、帰りついた家に目印をつけるだけですませと。あとは、翌朝、菅沼さまのお手の方々が捕り物にお出張(でば)りください。一人を責めれば、数人の賊を白状いたします」

菅沼組頭が、「もっとも」とうなずいた。
「不寝(ねず)の番をかならず置き、なん刻(どき)でも受けるよるようにしておこう」


_360
(菅沼藤十郎定亨(さだゆき)の個人譜)

_360_2
(長谷川太郎兵衛正直(まさなお)の個人譜)


参照】2010年5月27日~[火盗改メ・菅沼藤十郎定亨(さだゆき)] () () () (4) (5) () () (

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