火盗改メ・菅沼藤十郎貞亨(さだゆき)(6)
「長谷川さま」
下城してきた平蔵(へいぞう 30歳)に、閉ざされている門扉の脇から声をかけたのは、〔箱根(はこね)屋〕の当主・権七(ごんしち 43歳)であった。
権七には連れがいた。
顔なじみの〔音羽(おとわ〕)の元締・重右衛門(じゅうえもん 49歳)であった。
松造(まつぞう 24歳)に荷箱を供侍の桑島友之助(とものすけ 43歳)へ預けさせ、友之助には目顔で奥へ伝えるように指示した。
案内されたのは、小名木(おなぎ)川に架かる高橋(たかばし)北詰、常盤町2丁目を西へ入った小綺麗な料亭であった。
「ほう、ここに、こんな店があるとは知らなかった」
平蔵がおもわず洩らしたほど、構えも什器類も気がきいていた。
案内された部屋には先客が2人、お茶だけで平蔵の到着を待っていた。
年配のほうの男は、以前に会ったことのある、千住宿の香具師の元締・〔花又(はなまた)〕の茂三(しげぞう 60歳)といった。
もう1人の肥満がはじまりかけているほうを、重右衛門が、品川宿一帯を取りしきっている元締〔馬場(ばんば)〕の与左次(よさじ 48歳)と引き合わせた。
与左次は、鋭いものをつつみ隠してあいさつをしたあと、
「火盗のお頭からのお手札をいただかせていただきたいと存じ、お願いにあがりました」
「おれが渡しさげるのではない。菅沼(藤十郎貞亨 さだゆき 46歳 2025石)のお頭さまからの手札です。取りつぐのはこちらの権七の親方で、お決めになるのは菅沼さま。お頭のお眼鏡にかなうべく、組の者たちに身をつつしむように言い聞かせるのだな」
おもいあたることでもあるのか、与左次は恐縮の体(てい)をしめした。
平蔵とすれば、東海道の第一の宿場である品川宿は、火盗改メや先手組の夜廻りの順路にはほとんど入っておるまいから、〔馬場〕の身内の者を監督するだけですむなら、人手が助かると読んだ。
これに、日光街道の出入り口の千住宿を〔花又〕の茂三が引きうけてくれれば、盗賊たちの動きもかなり制約されよう。
残りは、甲州街道のとば口の新宿と、中山道の板橋宿であった。
酒と料理の前に女将が顔をみせた。
なんと、雑司ヶ谷の鬼子母神(きしもじん)脇の料理し茶屋〔橘屋〕で座敷女中をしていたお雪(ゆき 30歳)をふっくらさせたおんなであった。
お蓮(はす)と名乗った。
酒が入り、料理が配膳され、それぞれが差しつさされつになったとき、座はずして手洗いに立った平蔵に、帳場から寄ってきた女将が、
「長谷川さま。お久しゅうございます」
「やはり、お雪どの---」
「いまは、お蓮でございます」
「蓮っ葉は治まったか」
「ご冗談ばっかり。お世話くださる殿方があって、お店をもたせていただきました。どうぞ、ご贔屓に---」
「それはよかった。おめでとう」
「ありがとうございます」
岸井左馬之助(さまのすけ 30歳)の名前を出してとみようかとおもったが、もう、記憶にあるまいと断じて、呑みこんだ。
【参照】2008年10月17日~[〔橘屋〕のお雪] (1) (2) (3) (4) (5) (6)
厠から出ると、手水を満たした柄杓(ひしゃく)をかまえて待っていた。
洗った手を取り、拭いてくれ、しばらく、掌をにぎったまま、艶(えん)な眼差(まなざ)しで瞶(みつめ)た。
「ご立派におなりになりました」
「まだ、ぺーぺーの身でな」
「お子は?」
「もうすぐ、3人。その日暮らしだ」
「ご冗談ばっかり」
権七が心配してあらわれると、ついと手を離した。
【参照】2010年5月27日~[火盗改メ・菅沼藤十郎定亨(さだゆき)] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
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