小料理〔蓮の葉〕のお蓮(2)
「長谷川さま。今夕の集まりを、どうして〔蓮の葉(はすのは)〕にしたか、お分かりですか?」
権七(ごんしち 43歳)は、用件と会食が終わり、新大橋の方へ駕篭で帰る〔音羽(おとわ)〕の重右衛門(じゅうえもん 49歳)と〔花園(はなぞの)〕の肥田飛(ひだとび)を見送ってから、今宵も菊川橋たもとの船宿〔あけぼの〕から舟で帰ると、平蔵(へいぞう 30歳)と並んでその足元を照らしながら、小名木(おなぎ)川ぞいを東へ向かっていた。
「今夕の支払いは?」
「とうぜん、〔花園〕もちでさあ」
「いいのか?」
「火盗改メのお手札がもらえたお礼だっていってやしたでしょう。今席の持ちなんざあ、安いもんでさあ」、
「〔蓮の葉〕の品代は高いのか?」
「お気をおつかいになるほどじゃ、ありゃしやせん。金主の道楽で、女将にやらせているみたいな感じのところもありやす」
「ふむ。その金主(きんしゅ)の素性だが---」
「それがわからねえから、今席もあそこにいたしやしたんで---」
(権七という男は---頼んだことを理由(わけ)も訊き返えさないで、きちんとしてのける。おれにとっては無二の友よ)
店の老練の舁き手を、数夜、張り込ませたが、泊りにきている男はみかけなかったと。
そんなはずはないと、今夕も、ちょっと早めに来て何気ないふりで、あちこち調べたが、見張っていた表口と、脇の猫道しかないらしかった。
「長谷川さま。お差しつかえなかったら、なにゆえに、お蓮(はす 30歳)どのの金主をお調べになるのか、お洩らしいただけやすか?」
(そうであろう、訊くのが至当というものだ)
お蓮---というより、お雪(ゆき 22歳=明和4年)時代---の雑司ヶ谷(ぞうしがや)の料理茶屋〔橘屋〕で座敷女中をしていたころのことは、他言しないと約束してしまったので話すわけにはいかない。
破ったら、男としての、いや、人間としての器量がさがる。
「権(ごん)さんは、拙が去年、火盗改メ助役(すけやく)・庄田(小左衛門安久 やすひさ 41歳 2600石)さまのお声がかりで、〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛(いちべえ)という賊の探索にかかわったことを覚えておるかな?」
【参照】2010年2月11日~[〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
「黒江町の棟梁・〔木曾甚〕のことでお尋ねになりやした」
「女将がお蓮、店の名が〔蓮の葉〕。金主が蓮沼であってもおかしくなかろう?」
「あ。でも、蓮沼という在所はあちこちにありますから、盗人(つとめにん)の市兵衛とかかわりがねえかも---」
権七のいうとおり、蓮沼という村名は、関八州だけでも、
豊島郡(あだちこおり 板橋区)
荏原郡(えばらこおり 大田区)
足立郡(あだちこおり さいたま市)
葛飾郡(かつしかこおり 埼玉県北葛飾郡杉戸町)
横見郡(よこみこおり 埼玉県比企郡吉見町)
幡羅郡(はたらこおり 深谷市)
武射郡(むしゃこおり 千葉県山武市)
7村あった。
「だがな、権さんのところの手練(てだ)れが見張っていても、尻尾を見せないところが、臭(にお)うのだよ。市兵衛というのは、周到な首頭でな。しかも情けをこころえている。賊ながら、ちょいと見上げてやりたいところもあってな」
「考えられるのは、裏庭先づたいに、正木稲荷社の境内にそって小名木(おなぎ)川のきわへ出、舟で往来しているとしやすと、まず、目にとまりやせん」
正木稲荷社は、いまでも江東区常盤町1丁目に鎮座している。
いわれた平蔵は、さざなみが半月の光を返しているほかは暗い川面に目をやった。
「舟だとすると、〔蓮沼〕の住まいは大川べりということになるか」
「そうとはかぎりやせん。日本橋川もあれば、京橋川、神田川ぞいということも考えられやす」
「広すぎるな」
いいながらも、〔蓮沼〕の市兵衛なら、真夏の盗み(つとめ)はしないであろうと推察していた。
それよりも、お雪---いや、お蓮のような、蓮っ葉なところのあるおんなの、どこが気にいったのか、そっちを知ることのほうが、己れを含めて、男の弱みを洞察することにもなろうと、苦笑いとともに納得した。
(お雪---いや、お蓮の、深夜のぶらぶら歩きは、治っているのであろうか?)
別れぎわに、
「権さん。〔荒神(こうじん)の助太郎(すけたろう 55,6歳)とお賀茂(かも 35,6歳)の人相絵を刷り増し、新宿の元締・〔花園〕の肥田飛(ひだとび)と品川の〔馬場(ばんば)〕の与佐次(よさじ)のところへもとどけ、わけを伝えておいてもらえまいか」
「承知いたしやした」
【参照】2007年7月14日~[荒神の助太郎] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
2009年5月1日[お竜からの文] (2)
2009年1月8日~[銕三郎、三たびの駿府] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13)
2009年1月21日~[銕三郎、掛川へ] (1) (2) (3) (4)
2010年2月24日~[日光への旅] (3) (4)
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