〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛(4)
「黒江町の棟梁・〔木曾甚〕について、うわさを耳にしたことはないかな?」
〔木曾甚〕に聞きこみに行くまえに平蔵(へいぞう 29歳)は、ちょっと足をのばして、黒船橋北詰で駕篭屋をやっている〔箱根屋〕権七(ごんしち 41歳)方へ顔をだしていた。
「うわさって、どんな風(かざ)むきのでやす?」
不審な、といった顔をした権七が問いかえした。
「あそこが仕事をした店が、盗賊には入られたとか---そういった悪いうわさだ」
「聞いてやせんねえ。手堅い仕事をするって話が耳に入ってきたことはありやすが---」
「やはり、そうか」
あてがはずれたって感じの声だったのであろう、権七がおっかぶせて、
「やはり---って、なにか見込んでおられやしたんで?」
平蔵は、内緒だがと口どめしてから、このひと月ほど前に、上柳原町の藍玉問屋〔阿波屋〕に賊が賊が押しいったのだが、どうやって家の中に入ることができたのかわからない、この春に蔵の新築を請けおった〔木曾甚〕の職人の中に、戸口の細工をした不心得者がいはしなかったかと疑ってみたまでだ、と打ちあけた。
「そんなことなら、〔木曾甚〕にじかにおたしかめになればよろしいのに---」
にやりとした権七は、
「長谷川さまがお立ち寄りくださった筋は、これでございやしょう」
権七は、3枚ほどの紙片を神棚かりおろした。
一橋前の茶寮〔貴志〕から載せた客の行き先と日付が記されていた。
「お申しつけとおり、加平(かへえ 23歳)たちが舁(か)いた分だけで、ほかの舁き手には洩らしておりやせん」
「それでけっこう。かたじけない」
ふところにしまい、
「茶寮の女将が住まいに帰るとき、連れそった男は、その後、いなかったか?」
喉もとまででかかったのを、かろうじて呑みこんだ。
(藪へびになるところであった。おれもどうかしている)
気にはしていないつもりなのに、庭番の倉地政之助(満済 まずみ 34歳)にこだわっているらしい自分に、苦笑した。
〔木曾甚〕の棟梁・甚四郎(じんしろう)は、気性のさっぱりした男であった。
平蔵の問いかけの応えに、よどみがなかった。
遣った大工たちは、みんな8年以上もの子飼いの者で、この3年のうちに雇ったのは、13にしかならない走り遣いの子で、鉋(かんな)も鋸(のこ)も、まだ持たしてはいないと断言した。
(〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛(いちべえ)一味が、これまでに、押しこんだ店々の書き留めがあつまるのを待つしかないか)
四ッ目通りの〔盗人酒屋〕の〔鶴(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ 享年51歳)が、こういうときにいてくれたらとのおもいが、深まった。
(忠助どんといえば、おまさ(17歳)はどこに?)
【参照】2010年2月11日~[〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛] (1) (2) (3) (5) (6) (7) (8)
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