〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛
「ほう、1100両あったのに、うち、570両しか盗(と)っていかなかった、というのですな?」
火盗改メ助役(すけやく)・庄田(小左衛門安久 やすひさ 41歳 2600石)の筆頭与力の古郡(ここおり)数右衛門(52歳)の言葉を、長谷川平蔵(へいぞう 28歳)が復唱した。
「そのことから賊は、〔蓮沼(はすぬま)〕一味であろうと推測しております」
「〔蓮沼〕?」
「首領が〔蓮沼〕市兵衛(いちべえ)と申す者だそうでございます」
古郡筆頭の説明をかいつまんで書くと、この10年ばかりのあいだに、、〔蓮沼〕一味の仕事とおもわれる盗難が4件ほど記録されている。
一味の者が捕まったとか、賊が手がかりを置いていったということではない。
侵入しても、有り金を根こそぎ盗んでいくのではなく、その店があとの営業にさしさわらないだけのものを残しておいて去るのだという。
また、盗みはするが、女たちに手をつけないばかりでなく、一人も殺傷をししない手口などから、逮捕された盗賊たちが、
「それは、〔蓮沼〕のお頭のお盗(つと)めでしょう」
敬意まじりに指摘しているのだと。
それで、530両を残していった〔阿波屋〕でのやり口から、前任の嶋田弾正政弥(まさはる 37歳 2500石)から申し送られた推測であった。
「嶋田さまと申せば---」
「さようです。長谷川さまのお父上の後任として、先手・弓の8番のお頭にお就きになると同時に、火盗改メの助役に任じられたお方です」
嶋田政弥と聞いた平蔵は、亡父・宣雄(のぶお)の後任ということより、いまは、土岐一門の支流として興味をもった。
茶寮〔貴志〕の女将・里貴(りき 29歳)から、紀伊藩の侍女・鷲津(わしのつ)が土岐のおんなと打ち明けられていたからである。
【参照】2010年1月29日~[貴志氏] (1) (2) (3)
だが、いま、土岐家や鷲津家にかかずらわっては、話が混乱する。
ここは、〔蓮沼〕の市兵衛に的をしぼる。
【ちゅうすけ注】盗賊の首領・〔蓮沼〕の市兵衛は、文庫巻21[討ち入り市兵衛]に登場したときは79歳であったから、あの佳篇を寛政5,6年(1793~4)ごろの事件と見ると、いまは安永2年(1773)の11月---20年ばかり時計の針を戻したころのこととみておこう。
[討ち入り市兵衛]には、こう書かれている。
蓮沼の市兵衛は、すでにのべたごとく、掟の三ヶ状をまもりぬいた盗賊で、それが証拠に、これまで市兵衛が押し込んだ商家は、いまも一つのこらず繁盛しているそうな。
押し込んだときも、有り金のすべてを盗むようなまねを市兵衛はしたことがない。p145 新装版p149
平蔵は、古郡筆頭に、これまで〔蓮沼〕一味が押し入った商家の屋号と町名の名簿を松造に持たせてほしいと依頼し、自分は脇田同心と、上柳原町の〔阿波屋〕へ向かった。
(先の火盗改メ・嶋田弾正政弥の個人譜)
【参照】2010年2月11日~[〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛] (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
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