〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛(2)
「蔵が一つ、新築のようだが、建てたのは、いつ?」
江戸湾にめんしている上柳原町の〔阿波屋〕重兵衛方で、長谷川平蔵(へいぞう 28歳)が店主の重兵衛(40がらみ)iに訊いた。
上柳原町には〔阿波屋〕のほかに、〔熊野屋〕〔播磨屋〕〔嶋屋〕〔藍屋〕と藍玉問屋が軒をつらねている。
いずれも、大坂が本店の出店である。
取引き商品としての藍玉が世に出まわりだしてから、まだ5年ばかりでなのである。
主な産地である阿波国や播磨国からの荷を着けるのに、海ぞいのほうが便利がよいのと、江戸へ出店するのが遅れたために、日本橋川ぞいには倉庫がとれなかったせいもある。
上記の問屋たちよりも遅れた店は、大川べりの佐賀町あたりに店をかまえざるをえなかったらしい。
上柳原町の藍玉問屋では、それでも[阿波屋〕が一番の古顔で、店構えもほかの問屋よりすこし大きい。
「商いがふくらんできましたので、この春、建て増しました」
「行人坂の大火から2年と経っていないのに、よく、大工の手があったな」
「はい。この店舗を建てましたときからのご縁で、〔木曾甚〕さんの棟梁が手くばりしてくださいました」
(赤○=上柳原町の〔阿波屋〕、緑○=火盗改メ役宅・庄田家)
〔木曾甚〕の住まいは、深川の黒江町であった。
(これは幸い。〔丸太橋)の元締と〔箱根屋〕の親方・権七(ごんしち 41歳)の地元だ。何か、手がかりがつかめるかもしれない)
当夜の経緯(ようす)を聞くと、みんな寝入っていて、賊が入ったのに気がつかなかったという。
「手前の、中寿(なかじゅ)の祝い酒をふるまったものですから」
「中寿?」
「はい。40歳なもので---」
「40歳になったのは、今年の正月であろう? なぜ、年の瀬の近くに祝いを?」
「中寿を祝うということ、しらなかったものですから---」
(ふつうの人は、中寿を祝う習俗をもたない。まてよ、中寿ということを聞いたのは---京都の神泉苑(じんせんえん)の老師からであった)
【参照】2009年11月19日~[三歩、退(ひ)け、一歩出よ] (2) (3)
「ご宗旨は、真言宗でしたか?」
重兵衛は、きょとんとした顔をしたが、しばらく考えて、
「はい。深川・奥川橋際の万徳院さんですが、まだ、墓地はいただいておりません。手前が大坂の本店からこちらをお預かりして、まだ、仏をだしておりませんのでございます」
重兵衛によると、万徳院を引きあわせてくれたのも、〔木曾甚〕の甚四郎(じんしろう 50歳)棟梁であったと。
さきごろ、万徳院の老住持が嫁の話をもってき、そのとき齢をたしかめられたので、40と告げたら、中寿の祝いをするようにすすめられたというのである。
「すると、大坂の本店の三番番頭であった重兵衛どのがこの店をまかされて、このあたりの一番店に仕上げられたというわけだな」
「恐れいります」
まんざらでもない顔つきであった。
「雇い人たちの素性は?」
「みんな本店から参った者ばかりでございます」
「店の者はそうであろうが、奥と台所まわりの者は?」
「下女と飯炊き婆さんはこちらで雇いましたが、口入れ屋が身許を保証しております」
(〔蓮池(はすいけ)〕一味が、中寿の祝い酒の夜を狙って押し入ったのは、たまたまであろうか?)
平蔵は、重兵衛の両手の指先が紺色に染まっているのに目をとめた。
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コメント
藍玉が流通したのは、銕三郎の時代からとは、初めて知りました。
いろんな知識がえられます。
投稿: tsuuko | 2010.02.12 05:27
史実と小説のコラボがみごとです。どこまでが史実で、どこから創作か、ときどき迷います。迷わないで、ちゅうすけさんの笛に踊っていればいいんですね。
投稿: 左衛門左 | 2010.02.12 09:20
>tsuuko さん
藍玉が阿波(徳島県)で商品されたのは、明和2年ごろだそうです。
大坂へ送られ、そこから全国へ卸されたということです。
『鬼平』には、巻6[剣客]で澤田小平次の師・松尾喜兵衛の住まいの持ち主が、深川の藍玉問屋『大坂屋〕ですね。
投稿: ちゅうすけ | 2010.02.12 17:46
>左衛門佐 さん
なるべく、史実をふまえながら、さらに史実をおもしろく読めるようにこころがけてはいるんですが、力量不足を痛感しています。
投稿: ちゅうすけ | 2010.02.12 17:49