〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛(3)
「その、指先の藍色は?」
長谷川平蔵(へいぞう)の問いかけに、同心・脇田祐吉(ゆうきち 29歳)が初めて気づいたらしく、乗りだして店主・〔阿波屋〕重兵衛の指先をのぞきこんだ。
「大坂の本店で手代だったときから藍玉に触れておりますから、洗ってもおちないのです」
「ほう。そうすると、藍色が濃いほど、店での格が高いということだな」
店の者全員を集めて、指を示させた。
番頭1人、手代2人、小僧が3人。
手代・富雄(とみお 23歳)の藍色が淡かった。
「この者は?」
「帳簿つけが巧みなので、品のほうはあまり扱わないのです」
重兵衛がかばった。
色の白い、いかにもおんな好きのする若者であった。
「帳簿つけ、な---」
平蔵のつぶやきに、富雄は、はずかしげにうつむいてしまった。
賊たちは侵入してくると、二階に寝ていた者たちを下に追いおろし、重兵衛の部屋へとじこめ、別の組が下女と飯炊き婆を抜き身でおどしながら、同じ部屋へ押しこんだが、合鍵をもっていたらしく、蔵の錠前は自分たちで解錠し、金を運びだししたという。
「家の中への侵入口は?」
「それがどうも、のみこめないのです」
賊たちが大戸の通用口をくぐって去ってから、いましめを解きあい、家中の戸締まりを調べたが、どこも異常はなかった。
「すると、出ていった通用口から入ったことになるが---」
ふだんは、西本願寺の四ッ(午後10時)の鐘で、小僧たち3人が拍子木を打ち、
「火の用心」
と呼びあいながら、すべての戸締まりをしてまわるのが本店からのしきたりだが、その夜にかぎり、祝い酒のせいで欠かしていた。
「子どもたちにも、ふるまったのか? 呑みつけていないから、効いたであろう」
「呑ませたのは、千慮の一失でございました。本店の大旦那にいいわけがたちません」
「それで、盗(と)られた金は?」
「本店へ送る品物代でございました」
「全部、が?」
「いえ、盗(と)られた金が、でございます。残してくれた金のほうは、店の者たちの引退(ひ)き金の積み立てやら、薮入りの節季金(せっきがね)やら---」
「儲け金(もうけがね)やらか」
「恐れいります」
「まあ、小判には用途は記されていまから、なんとでもいえる」
口調をあらためた平蔵が、
「賊のありようで、気のついてたことは?」
しばらく考えた重兵衛が、
「そういえば、はじめからしまいまで、言葉がありませんでした」
「口をきかなかったということか?」
「はい。すべて、手の形を合図に決めていたようです」
「よく、思いだしてくれた」
(いつであったか、御厩河岸の茶店の女将あった小浪(こなみ)が24歳のとき、賊の配下の方言から国元が割れることになるのだと、〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 48歳=当時 初代)を諭(さとした)したと、話してくれたことがあった)
【参照】2008年10月29日[うさぎ人(にん)・小浪(こなみ)] (7)
平蔵は、脇田同心に 目で報せ、聞きこみを打ち切った。
表へ出てから、
「〔木曾甚〕へまわり、棟梁・甚四郎(じんしろう 50歳)に会ってみます。脇田さんには申しわけないですが、江戸の外で〔蓮沼(はぬま)〕の市兵衛一味のとおもわれる盗みなかったかどうか、代官所と近在の藩へ訊きあわせる手つづきを、お願いします」
上柳原町の東端で別れた。
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