〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛(6)
「〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛(いちべえ)さん、おもっているより、はるかに思慮深いお人のようですな」
まわりにどのような耳があるか知れたものではないので、長谷川平蔵(へいぞう 28歳)は、知人のことを噂してでもいるように、敬称つきで話した。
本所・二ッ目橋北詰のしゃも鍋屋〔五鉄〕で、心得た三次郎(さんじろう 24歳)が、入れこみ座敷のいちばん奥まった仕切りに席をつくってくれた。
2階にしますか、と指で天井を指したのを、平蔵が首をふって断ったからである。
指定した時刻の六ッ(暮れの6時)に、火盗改メ同心・脇田祐吉(ゆうきち 29歳)が、のっそりと〔五鉄〕へ入ってき、平蔵の手招きで席についていた。
「さようですな。万端、ぬかりがありませぬ。で、こんどは、どのような所作を?」
脇田同心もこころえて、調子をあわせた。
鍋と酒を注(つ)げたあと、帰りに肝の甘醤油煮をと、指を3本立てた。
うなずいた三次郎が板場へ引いた。
「脇田どのは、甚さんに左官のことを噂なさりましたか?」
わざと、〔木曾甚〕の屋号をはぶいた。
「左官?」
「新蔵づくりには、左官が大きくかかわります」
「見すごしていました」
火と鍋が2人の膳のあいだに置かれ、燗酒もそれぞれの膳に配されたところで、献杯のやりとりがあり、
「長谷川さま。じつは、お願いしたことを悔いております」
「-----?」
「お頭が、春にお役ご免になったらと、もう、次の職席を上ッ方へ働きかけておられるとの噂を耳にしたのです」
「それはお気が早い。しかし、いまのお席(先手組頭 1500石高)は、お役不足ではあります」
脇田祐吉のお頭・庄田小左衛門安久(やすひさ 41歳 2600石)の先手組頭は、足(たし)高なしの持ち高勤めなのである。
「しかし、先任の島---」
と口にしたところで、平蔵が首をふり、
「あちらも、持ち高勤めでしたな」
笑いながらうなずいた。
脇田同心が口にしようとしたのは、この7月まで加役(かやく 火盗改メの冬場の助役(すけやく))であった島田弾正政弥(まさはる 37歳)も2500石の高碌での持ち高勤めをしていたということであった。
【参照】島田弾正政弥は、2010年2月11日[〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛] (1)
鍋をつつきおわると、平蔵は三次郎に肝の甘醤油煮をもってこさせ、一つを本所・南割下水ぎわの組屋敷へ帰る脇田同心にもたせた。
それから、通路をへだてた向こう北側で鍋を賞味していた松造(まつぞう 22歳)に、
「ゆっくり呑んでゆけ。帰りにこれを持ち帰り、奥方へ渡せ。もう一ヶ所、確かめておきたいところへまわる」
三次郎から提灯を借りて、でていった。
提灯の灯は、新大橋をわたったのち、、どうやら、三河町の御宿(みしゃく)稲荷を目ざしているようであった。
【ちゅうすけ注】三河町2丁目(現・千代田区内神田1丁目6)にある御宿(しゃく)稲荷は、『鬼平犯科帳』巻22長篇[迷路]p113 新装版p108 で、平蔵とおまさが待ち合わせの場所---御宿(しく)稲荷として登場。
【参考】御宿稲荷神社
| 固定リンク
「112東京都 」カテゴリの記事
- 〔鷹田(たかんだ)〕の平十(2005.07.30)
- 〔網切(あみきり)〕の甚五郎(2005.09.14)
- おみねに似たおんな(8)(2011.01.10)
- おみねに似たおんな(3)(2011.01.05)
- 池田又四郎(またしろう)(2009.07.13)
コメント