火盗改メ・庄田小左衛門安久(2)
(庭番組とのかかわりを、訊かないでよかったのだ)
本願寺の手前の備前橋を西へわたりながら、平蔵(へいぞう 28歳)が、小さくひとりごちた。
橋下の築地川の川面は、草色のしぼり布のようなさざ波をひろげては消し、その声を呑みこんだ。
供の松造(まつぞう 22歳)は聞きもらしたらしく、
「なにか、おっしゃいましたか?」
「いや。この寒いのに、松造はよく勤めてくれる、と言ったのだ」
「ありがとうございます」
平蔵が昨夜から反芻していたのは、里貴(りき 29歳)と、倉地政之助満済(まずみ 34歳 60俵3人扶持)のとりあわせであった。
御宿(みしゃく)稲荷脇の家を訪れたとき、2人ともきちんと着物を着ていたし、寝間へ入ったときにも情事のあとの匂いはこもっていなかった。
しかし、玄関には、政之助の履物が見えなかったし、戸を開ける前に、里貴は一瞬、逡巡した気配であった。
(なぜ、ためらったのか)
里貴がおもしろがって拷問と呼んでいる行為のとき、
(ありえない)
と信じたかったので、問い質(ただ)すことができなかった。
その分、拷問ふうないたぶりを強めたかもしれないが里貴は、透明なほどに白い肌を淡い桜色に紅潮させて応じてきた。
最初の宵、里貴の肌色の玄妙な変わりように気がついた平蔵は、それからは、灯芯を細めることを里貴に禁じた。
「そんなことでお気がたかぶるのでしたら---」
里貴はも笑いながら、その後は、横になるまえに明かりを強くした行灯を、すこし離して足側へ移すようになった。
(英泉『婦恕のゆき』部分 イメージ)
(おんなというのは、幾つになっても分からない)
「殿。道が違います」
松造に注意された。
入り堀をはさんで本願寺の北、岡山(備前)藩・池田内蔵頭侯の広大な中屋敷がめぐらせている塀のはずれを北へ曲がろとしたのである。
(西本願寺 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
火盗改メ助役(すけやく)の庄田小左衛門安久(やすひさ 41歳 2600石)の役宅は、南へ折れたほうが近道であった。
もともとは3000石の家格であった庄田邸は、1500坪をこえる屋敷地を賜っており、多数の樹木が塀越しに枝を道にさしのべている。
夏にはいい日陰をつくってくれているのであろうが、冬のいまは、落ち葉をちらしているだけであった。
門番に案内を通じると、すぐに、玄関脇の応接の間へ案内された。
待つまもなく、遣いにきた脇田同心(29歳)をしたがえた、羽織袴の50歳前後の役人が入ってき、筆頭与力の古郡(ここおり)数右衛門(52歳)と自己紹介をし、
「本役・赤井組の筆頭・舘(たち 与力)どのから、ご紹介いただいたのです。お頭に話したところ、すぐにもお力を借りるようにとの仰せであったので、ご足労をお願いした次第---」
言い終わらないうちに、一見してお頭・庄田小左衛門と思える小太りの仁がずかずかとあらわれ、
「長谷川うじかな、庄田です。この組は、30年来このかた、加役を仰せつかっていなかったので、経験者がほとんどいなくてな」
「しかし、ご隠居されている熟練の方々もおいででしょうから---」
平蔵がとりなしたが、それと気づかない庄田組頭は、
「もちろん、隠居たちの知恵も借りるつもりだが、長谷川うじも、万事、古郡与力と相談の上、せいぜい、知恵を貸してやってほしい」
高いところからものを言うことになれきっている口調で言うだけ言って、さっと消えた。
(いったい、火盗改メの職務をなんとこころえているのだ)
亡父・宣雄とくらべて、あまりにも違う庄田組頭に、平蔵は、これは出世一途の人だ---と観じた。
組頭が消えると、古郡筆頭が事件の説明をはじめた。
盗賊に入られたのは、役宅から数丁しか離れていない、大川河口ともいえる、江戸湾ぞいの上柳原町の藍玉問屋〔阿波屋〕重兵衛方で、被害額は570両であった。
「なによりも 小癪なのは、お頭が加役をお受けになるのを見すかしていたように、この11月の15日に押しこんだのです。組としても、体面もありますから、ぜひとも挙げたい」
(庄田小左衛門個人譜)
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