小料理〔蓮の葉〕のお蓮(3)
(そういえば、似顔絵を300枚から刷り、元締衆のシマの仮店に配った、〔荒神(こうじん)〕の助五郎(すけごろう 55,6歳)とお賀茂(かも 35,6歳)の報せが、まったくあがってこないなあ)
寝所で、天井をみながら、平蔵(へいぞう 30歳)はおもった。
助五郎の姿を見たのは、養女となる与詩(よし 6歳=明和4)を迎えに、駿府へ行く途中の小田原であったから、10年以上も前のことになる。
その時の助五郎は、色が浅黒く、44,5歳に見えた。
【参照】2007年12月27日[与詩(よし)を迎えに] (8) (36) (37)
2008年1月25日~[荒神(こうじん)の助太郎] (5) (6) (7)
10年ちょっと経っていた。
以来、助次郎の盗み仕事(つとめ)ぶりは、駿府と掛川で目にしたが、当人の姿は見たことがない。
似顔絵は、箱根の関所やぶりに手を貸した権七太作(たさく 70歳近く)、それに京都でお須賀につきまとわれたお勝(かつ 34歳)の証言をもとに描かれ、板刻した。
そういえば助太郎は、平蔵(当時は銕三郎 てつさぶろう)が、初めて出あった盗賊であった。
その後、江ノ島海岸の宿で声をかけてきた窮奇(かまいたち)〕の弥兵衛(やへえ)の逮捕にかかわった。
【参照】2008年2月22日[銕三郎(てつさぶろう)、初手柄] (4)
大盗〔蓑火(みのひ)]の喜之助(きのすけ)と〔尻毛(しりげ)の長右衛門(ちょうえもん)とは、それと知らずに顔をあわせた。
【参照】2008年7月25日[明和4年(1767)の銕三郎(てつさぶろう)] (8)
〔蓑火〕の仕事(つとめ)かかわりで、軍者・〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 29歳=当時)とも躰をあわせた。
〔盗人酒屋〕をやっていた〔鶴(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ)を介し、〔法楽寺(ほうらくじ)〕)の直右衛門(なおえもん)や〔名草(なぐさ)〕の嘉平(かへえ)、〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう)、〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち)とも知りあった。
その後は、歴代の火盗改メから助力を頼まれるようになった。
あろうことか、亡父・宣雄が火盗改メの家柄という路(みち)をつけてしまった。
そしていま、妙なめぐあわせでお雪(ゆき)---いや、お蓮(はす 30歳)かかわりで、不思議な盗賊〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛(いちべえ)に近づこうとしている。
もっとも、お蓮が〔蓮沼〕の市兵衛のおんなとわかったわけではない。
〔蓮の葉〕の金主(きんしゅ)が〔蓮沼〕の市兵衛としてだが、どのようにして結ばれたのであろう。
まあ、男とおんなの好みと色恋は、理屈ではない。
おもいがけない組みあわせができるのは、そのためであろう。
(おれと茶寮〔貴志〕の女将・里貴(りき 31歳)とのことにしたって、そうだ。里貴は、錚々(そうそう)たるご重役衆が利用する店で、あれだけの白い肌なのだから、おれのような柳営にもまだあがっていなかった若者を相手に選らばなくても、いくらでも玉の輿(こし)に乗る誘いはあったはずである。提灯を借りに寄っただけだったおれのどこをどうおもったのか、それまで解いたことのなかった帯を解いた)
〔蓮沼〕の市兵衛としてだが、お雪---いまはお蓮と、どのような経緯(ゆくたて)でできてしまつたのか、それがわかると、〔蓮沼〕という大盗の気質なり器量の片鱗がつかめねかも知れない。
(もっとも、おれが知っているのは、8年前のお雪でしかないが---)
10代後半から20代のおんなの8年のあいだの身辺、躰の変遷は、倍の16年のそれにも相当するというから、むかしのお雪とおもっては、とんだ見当ちがいをしてしまうであろうが---。
1年ちょっと前に、ときの火盗改メ・助役(すけやく)だった庄田(小左衛門安久 やすひさ 41歳 2600石)の筆頭与力の古郡(ここおり)数右衛門(52歳)から聞いた、〔蓮沼〕一味とおもわれる盗みの作法から、市兵衛の像を描いていたのである。
〔墓沼〕一味は、侵入しても有り金を根こそぎ盗んでいくのではなく、その店があとの商いにさしさわらないだけのものを残しておいて去るのだという。
市兵衛に、あろうことか、好意のような感触をいだきすらしていたのであった。
| 固定リンク
「079銕三郎・平蔵とおんなたち」カテゴリの記事
- 与詩(よし)を迎えに(39)(2008.02.02)
- 本陣・〔中尾〕の若女将お三津(3)(2011.05.08)
- 日信尼の煩悩(2011.01.21)
- 貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)(8)(2009.10.26)
- 蓮華院の月輪尼(がちりんに)(6)(2011.08.15)
コメント