小料理〔蓮の葉〕のお蓮(4)
「お雪(ゆき)が辞めて、3年になりましょうか---」
お栄(えい 43歳)は、仲居頭(なかいがしら)をつづけていた。
雑司Tヶ谷の鬼子母神の大鳥居の手前を、垣根にそって左へいったところにある料理茶屋〔橘屋〕が、仲居たちの寮として、農家を改造している奥まった一室である。
かつて、この部屋へ通されたのは7年前(明和5年 1768)の晩秋で、久栄(ひさえ 16歳=当時)が、嫁にくる前であった。
【参照】2008年10月12日[お勝という女] (1)
お栄の髪には、白いものがまじっており、向かいあうと目じりの皺の数が多くなっているのが目立った。
それでも、寝衣の浴衣には、赤い金魚がいく匹か泳いでいる。
この前と同じように、寝酒にしているといい、徳利から湯のみへ冷や酒を注いくれている。
自分もひと口呑み、お雪の部屋だった右手の入り口の襖(ふすま)へ声をかけた。
「お千夜(さよ)さん。おささ、召すかね?」
その部屋から、やはり寝衣の浴衣を赤いしごきでとめただけの、23,4歳とおぼしいおんなが出てきた。
「ここにいるのは、いまは、わたしとお小夜さんだけなんです。あとはみんな通い---」
いいわけしてから、
「お小夜さん。お雪を退(ひ)かせた、小柄な---なんとおっしゃいましたかねえ」
お栄は、平蔵(へいぞう 30歳)に、
「初手(はな)は、同じ店(たな)の下の人らしい5人ほどでおいでになり、つぎからは、お雪を名ざしでお一人でおあがりになるようになったんです。初手のときにお小夜さんが、お雪の助(すけ)について---」
お小夜はいける口らしく、一気に茶碗酒をあおってから、護国寺前の青柳(あおやぎ)町の、蝋燭問屋〔不二屋〕の旦那で金兵衛といい、50がらみで、やさしい声の持ち主であったと。
連れは、番頭と出店をまかされていた者であったよう---。
「でも、妙なんですよ。お雪さんが退かされなさってから、青柳町へ行ってみたんです。そしたら、〔不二屋〕って蝋燭問屋はなかったんです」
勝手に注いで3杯もあけ、ろれつがあやしくなってきていたお小夜を、抱くようにして部屋へ帰し、
「長谷川さま。お仲(なか 33歳=当時)さんのだったお部屋は空いています。お泊りになりますか?」
【参照】2008年11月29日[橘屋]忠兵衛
断った。
「明朝は、出仕しなければならぬ。木戸が閉まる前に、なんとか帰りつけよう」
雑司ヶ谷から本所・三ッ目の屋敷までは2里(8km)以上あり、遅くなったら泊まることになるかもしれないと、いってあった。
(そういえば、お仲が、〔蓑火(みのひ〕の喜之助(きのすけ )と〔夜兎(ようさぎ)の角右衛門(かくえもん)が〔橘屋〕で清遊をしたとか、話してくれたことがあったなあ)
【参照】【参照】2008年8月29日~[〔蓑火(みのひ)〕のお頭] (1)(2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
御宿(みしゃく)稲荷の脇の家の戸を拳骨の脊で叩いた。
2ヶ叩き、間合いをおき、また2ヶ---。
寝支度のまま、戸をそっとてあけた里貴(りき 31歳)は、平蔵に双眸(りょうめ)を大きくひらいておどろいた。
「どうか、なさいましたか?」
「泊めてくれるか?」
「お泊りになれますの?」
「明朝は早い」
「うれしい」
蚊帳の中で、青柳町の蝋燭問屋の〔不二屋〕金兵衛のことを話した。
「お待ちになって---たしか、駿河の富士山の頂上に8峰があるので、別名、蓮岳(れんがく)といったような---」
「なに? 蓮岳とは、蓮の岳と書く?」
「はい。駿府城代をなされた、どなたかからそのように---」
「ふーむ」
「わたしの蓮華(れんげ)も開いております」
「ばか」
【参照】2010年6月5日~[小料理〔蓮の葉〕のお蓮] (1) (2) (3) (5) (6)
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