長野佐左衛門孝祖(たかのり)
半蔵門で待ち合わせた長野佐左衛門孝祖(たかのり 30歳 600俵)と平蔵(へいぞう 29歳)が、千鳥ヶ渕ぞいに、中坂下の料亭〔美濃屋〕へ向かった。
「長谷川、今夕の払いは持つなどと大見得をきったが、無理しているのではないか? 備中(守 宣雄 のぶお 享年55歳)どのの役高もはずされたのであろう?」
いつもは無駄口をきかない長野孝祖が、めずらしく冷やかしを口にした。
京都町奉行の格高は1500石だから、死去とともに足高(たしだか 役席高と家禄との差)1100石がつかなくなった。
役料の原米600石はいわずもがなである。
「まあ、今夕くらいのことなら、なんとかなる」
平蔵が胸をはった。
「まさか、貢いてくれる大年増でもできたのではあるまいな?」
おもわず、長野を瞶(みつめ)た。
(いつもの長野でない)
「じつは、剣術の指南料がはいってな」
「目付に知れないようにするんだな」
幕府は、お目見(みえ)以上の士の内職をこころよくは見ていない。
指南料を前払いした菅沼藤次郎(11歳 7000石)の母・於津弥(つや 35歳)に、昨日の下城の途中に会った。
やはり、客間にとおされた。
庭の邪魔にならないところ---納屋の脇にでも、10段ほどの木製の階段をつくり、とりあえず鉄条入りの木刀ができるまで、朝夕10度ずつ上り下りして足腰をならしておいてほしいと告げたのである。
図を懐紙に描いて於津弥iへわたすとき、故意かどうか、、懐紙の下で、支えているこちらの指に於津弥の指が触れた。
於津弥はそのまま、図に見いっているふりをして指を離さず、別の指で、
「ここのところに、藤次郎が踏みはずさないように欄干(らんかん)をつけては---」
かすかに媚(こび)をふくんだ眸(め)で、問いかけた。
図を押しやって指を離し、
「いえ。落ちないのも稽古のひとつなのです。それに、木刀を横に薙(な)いだときに邪魔になります」
藤次郎のほうは瞳(ひとみ)を輝かせて聞き入り、うなずいた。
辞去するとき、家老がまた紙包みを用意していた。
「木刀代を忘れておりました」
受け取った。
3両(48万円)入っていた。
その3両を、いま、ふところに持っているが、長野には出所は話さなかった。
「年増にもてる秘訣(ひけつ)を教えてくれないか?」
「人ぎきの悪い冗談はよせ。年増なんかにもててはおらん。室ひと筋だ」
「なにがひと筋なものか。浅野の頼みごとで安房・朝夷郡(あさいこおり)江見村へ出張(でば)ったとき、妙齢の年増もちゃんと木更津通いの船に乗っていたというではないか」
(お竜(りょう 32歳=明和8年 1771)のことがどこで発覚(バレ)たか、松造(まつぞう 23歳)でないとすると、火盗改メ・永井組の有田同心? ま、お竜は逝ったし、ここは白(しら)をきっておくにかぎる)
【参照】2009年5月21日~[真浦(もうら)の伝兵衛] (1) (2) (3)
「人の噂も75日というが、長野が聞いた噂は3年前のものだ。黴(かび)がはえておる」
「どういうおんなであったのだ?」
「忘れたが、お主こそ、できたのではないか?」
「ふふ」
「変だぞ、きょうの長野は---」
飯田町中坂下の〔美濃屋〕へ着いたので、この話題はごく自然に消えた。
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コメント
平蔵さんに剣のお弟子さんができたのですね。これまではおまささんでしたが、手習いですから、本当の剣を教えるのは男の子がいいですよね。
でも、お母上の津弥さまのほうが何かを教わりたそうでヒヤヒヤです。平蔵さん、モテすぎです。久栄さまを大切に。
もっとも、武家は何人側女がいても産んでくれればよかったのでしたね。
投稿: tomo | 2010.04.01 04:47
>tomo さん
なにしろ、教わるのは7000石の家の遺児ですからね、教えるほうもたいへんでしょう。
それと、津弥さんは夫と死別して3年目---30歳半ばの女ざかり、ことがおきなければいいのですが。
津弥さんといえば、28人の兄弟姉妹の真ん中あたり---牧野家からと嫁いできた女性です。もちろん産んだ女性は1人ではありません。15人ほどの女性がいたようです。
藤次郎少年の実母は、津弥さんです。
投稿: ちゅうすけ | 2010.04.01 11:34