ちゅうすけのひとり言(53)
じつは、京都にのぼっていた銕三郎(てつさぶろう 27歳=明和9年 1772)が、[化粧(けわい)読みうり]の利益金の半分を寄進すると申し出て、誠心院(じょうしんいん)の有髪の庵主・貞妙尼(じょみょうに 享年26歳)とかかわりができた。
【参照】2009年10月12日~[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
【参照】2009年10月19日~[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
これに、貞妙尼の白い肌のことを書いた。
『鬼平犯科帳』巻4[血闘]に、おまさの肌は「江戸の女の常で浅ぐろい」とあるので、京育ちのお貞の肌を白くしておいた。
銕三郎が初めて抱いた上方のおんなである。
越後育ちの女賊がいればよかったのだが。
お里貴(りき 29歳)は紀州生まれだが、貞妙尼の肌をもっと白く、光を透き通らせているとおわせるほど、透明感のあることに昇華させた。
【参照】2010年1月19日[三河町の御宿(みしゃく)稲荷脇] (2)
2010年3月5日~[一橋家老・設楽(しだら)兵庫頭貞好] (1) (2) (3)
それというのも、里貴の生まれを紀州の貴志村にしたからである。
貴志村にしたのは、ぐうぜんであった。
吉宗、意次かかわりで『旧高旧領取調帳』のデータ・ベースで紀州をいじっていて見つけた。
池波さんも座右においていた太田 亮先生『姓氏家系辞書』(秋田書店)で、貴志氏が渡来・帰化人であることをしった。
【参照】2010年1月29日~[貴志氏] (1) (2) (3)
こんな設定をしてから、5000冊の文庫を収納できる特別製の本棚を眺めていて、60年ほど前に同人雑誌で仲間だった開高 健くんと吉行淳之介さんの『対談美酒について』(新潮文庫 1985.11.25)を手にとり、再読しはじめたら、面白くて独り笑い声をあげながら、ずんずんページをめくった。
こんな会話があり、おもわず膝をうった。
吉行 昭和二十一年だから。その娘はきれいだった。
開高 韓国の人は私もある作品に書いたけれど、素晴らしい皮膚をもっている。
吉行 女性ですか。
開高 はい。全部が全部とは言えません。よくハンセン氏病の初期の状態では、皮膚がとても澄んで美しくなると言われるけど、私が接触したのでは、もうほんとうに病気じゃないかと思うぐらい美しいのがいて、糸偏に光と書いて絖(ぬめ)、絹の最上等のやつね、これでもまだおぼつかないくらい。日本の女性にもときどきありますけれども、韓国の女に見かけるあのすごさに比べると、とても、われわれのはまだ健康すぎて------。
吉行 だめか、日本人の皮膚は美しいとなっているんだけれど。
開高 まだ健康段階にある。デカダンスを通過してない透明さです。
吉行 中国もいいそうですね。凝脂を洗うという句---
開高 ありますな。
吉行 楊貴妃か。
開高 珠の脂ね。
吉行 こごった脂だ。あれも感じがある言葉だけれど、まあそういうものですね。
(少略)
開高 しかし韓国のあれは実に美しい。雪洞(ぼんぼり)のなかで光を灯しているような感じ、人間の皮膚とおもえない。
吉行 それはちょっと良すぎるんじゃないの。宝くじに当たったみたいなものじゃないのかねえ。
両巨頭の卓越した体験に比較して、ちゅうすけの、なんと貧弱に表現であることか。
書くのを放棄したくなるほど貧困な言辞をもてあそんでいるにすぎない。
ま、体験がないからもあるけれど。
とにかく、貴志村→帰化→村内婚姻→遺伝子の保持→透けるように青白い肌→お里貴
---と空想してきた。
空想のきっかけとなったのは、波打つ麦畑の印象的なシーンではじまる映画『刑事ジョン・ブック 目撃者』の舞台---ペンシルベイニア州の、機械文明を拒否したアーミッシュの村であった。
25年も前に封切られた映画だから、若い人は見ていないだろうが、現代の米国に、こんな保守的な宗教グループ(アンマン派信徒)がいることもおどろきなのだが、いや、米国でユダヤ正統派教徒は旧約聖書が定めている700を超える戒律をまもっているようだから、キリスト教徒にアーミッシュ集団がいても不思議ではないのである。
映画は、ハリソン・フォードの刑事と、信徒の若い母親・ケリー・マクギリスとの異なる信仰の壁にさえぎられた恋物語なのだが、マクギリスの魅力に圧倒された。
もちろん、マクギリスは子どものために恋をあきらめる。
里貴には子どもはいない。
前夫とのあいだには、できなかった。
だから、シチュエイションは、異なる。
平蔵の家庭事情を知っていて、里貴は、自ら抱かれるように仕組んだ(うらやましい>ちゅうすけ)。
それまで隠してきたふしあわせの堰が、平蔵をしることで、一気に埋めあわせをすることにもなった。
そのことを、田沼意次もこころえていて、蔭ながら支援している。
(ハリソン・フォードとケリー・マクギリス)
アーミッシュを百済から渡来した一部の伝統主義者にあてはめてみた。
言いたいのは、人種うんぬんではない。
渡来人ということであれば、日本海側の城下町でうまれたちゅうすけには、色濃く、渡来人の血がはいっているはずである。
司馬遼太郎さんなどによる研究書、朝鮮文化が及ぼした影響についてはかなり読み込んできたはずだから、渡来人、帰化人についてはおおように理解しているつもりで゜ある。
そうでありながら、お里貴の肌の白さは貴志村育ちによると認めざるを得なかった。
古来、わが国では、色白は七難を隠す、という。、
もっとも、才、及ばずして意気あがらず、ではある。
| 固定リンク
「200ちゅうすけのひとり言」カテゴリの記事
- ちゅうすけのひとり言(95)(2012.06.17)
- ちゅうすけのひとり言(94)(2012.05.08)
- ちゅうすけのひとり言(88)(2012.03.27)
- ちゅうすけのひとり言(90)(2012.03.29)
- ちゅうすけのひとり言(91) (2012.03.30)
コメント
いいことを教わりました。人物造形って、そういうふうにやるんですね。
吉宗と田沼だから、紀伊からイメージの手がかりをつかむ。それをもとにふくらませて肉付づけを重ねていく。
そういえば、いつだったか、ちゅうすけさん、『犯科帳』の盗賊の『通り名」のもとを池波先生は吉田東伍先生『大日本地名辞書』から拾っていると書いていらっしゃいましたね。ヒントを拾うためとしては、じつに手軽な方法だと感じいりました。
しかし、里貴っていい年増ですね。開高 健先生ではないですが、抱いてみたくなる。できれば妻にしてみたい。
投稿: 文くばり丈太 | 2010.03.31 04:55
>文くばり丈太さん
小説からつかずはなれずで、史実をからませていくのって、調査がたいへんです。とくに、宗教とか幕府上層部の。
貞妙尼には、気をつかいました。
その点、理貴は、まだいいほうでしょうか。
文くばり丈太さん。コメント、奥方にみつからないようになさってください。
投稿: ちゅうすけ | 2010.03.31 12:31