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2010.03.07

一橋家老・設楽(しだら)兵庫頭貞好(さだよし)(3)

「このまま、眠ります」
「錠はどうする?」
「あ、忘れていました」
裸のまま、桜色がまだ引かない白い尻をみせつけながら這いで、巾着袋からとりだした四角い棒こみたいな鍵を、平蔵の手におき、
「合鍵をつくらせました。おいでになれる日は、お安(やす 60すぎ)婆ぁさんを断っておきます」
「昼間にきては、〔貴志〕にさしさわりがてるのではないか?」
「だいじょうぶ。女中頭・お(くめ 32歳)を、きちんと仕込んであります」

出るとき、戸の上下の2ヶ所にある鍵穴ヘ差しこんでまわすと、桟が柱の穴に落ちこむ仕掛けになっていた。
ぎゃくにまわすと、桟がもちあがって戸締まりが解ける。

暗い道を、深川・黒船橋たもとの権七(ごんしち)の〔箱根屋〕へむかいながら、藪 主膳正忠久(ただひさ 54歳 5000石) のことを聞きそびれた手ぎわの悪さを反省していた。

〔箱根屋〕では、屋号入りの提灯を借りなければならない。
権七と打ちあわせをするようにいいつくろってある。

平蔵が、〔箱根屋〕へつくまでのあいだを借り、一橋家の次席家老の設楽(しだら)について、若干、記してみたい。

家名のゆえんは、三河国設楽軍川路(かわじ)城に居していたゆえと、『寛政重修諸家譜』にある。
古いものは、東三河のたびたびの戦乱によって失してしまったと。

寛政譜』によると、雅楽助(うたのすけ)貞長(さだなが)は松平清康に属したが、その子・神三郎貞通(さだみち)は今川義元および氏真の配下につき、その後、家康に転じた。

宮城谷昌光さん『風は山河より 第六巻』(新潮文庫)には、元亀2年(1771)、武田方の将・秋山伯耆(ほうき)守信友(のぶとも 45歳)の軍が野田の菅沼新三郎定盈(さだみつ 30歳)を攻めたとき、神三郎貞通(38歳)は、西郷孫太郎義勝(よしかつ)らとともに定盈を援(たすけ)た詳細が書かれている。

ついでだから指摘しておくと、『寛政譜』の項は、姉川の合戦を元亀6年6月と誤植している。元亀は3年(1572)までと表記するのが通例で、同4年は7月28日に天正と改元。

菅沼定盈の野田城は、天正元年(元亀)の春にも信玄に攻められた。
このときも、神三郎貞通は援将の一人として野田城にはいっている。

宮城谷さんは『古城の風景1』(新潮文庫)で、その守りの堅固さを、のちに織田信長楠正成に匹敵すると誉めたことが書きとめられている。

じつは、私事だが、『風は山河より』は、単行本で読み、文庫化されたのを機に再読、三読した。
ゆえに、ちゅうすけにとって、設楽という姓は、きわめて親しいものとなっている。

柳営補任』で、一橋の家老のなかに設楽兵庫頭貞好(さだよし 68歳 2150石)の名があり、親近感をおぼえ、長谷川平蔵とのあいだを夢想してみた。

もっとも、兵庫頭貞好と『風は山河より』の神三郎貞通とは、血胤はつながらない。
家老・貞好は、大久保弥五郎忠時(ただとき 700石)の次男で、設楽家の養子となった。
実家の大久保家とのあいだからは、稿をあらためて述べたい。

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平蔵は、〔箱根屋〕で夜勤の舁(か)き手から提灯をかり、の里貴の家の鍵を懐紙にくるんで封をし、明朝、権七に預けるようにいい、三ッ目通りの屋敷へむかった。


[一橋家老・設楽(しだら)兵庫頭貞好] () () (


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週刊 池波正太郎 12』[剣客商売 三]が送られてきた。
剣客商売]についての、ぼくの最大の謎は、5年前に連載がはじまった[鬼平]文庫巻1[血頭の丹兵衛]では、

いわゆる〔賄賂政治〕の呼び声をたかめた老中の田沼意次政権が倒れ、田沼が失脚すると供に、松平定信政権がこれにかわった。

---と、「賄賂政治家」と認識していた田沼意次を、5年後の『剣客商売』では、三冬意次のむすめという設定にし、田沼を立派な政治家として描いている。
5年間のあいだに、池波さんの心中で、どんな田沼像の変化が、なぜ起きたのかに言及した研究家は、まだあらわれていない。

この号には、それでも、郷土史家・関根徳男さん「田沼意次がつくった明るい時代」という論考はあるが、池波さんの胸中の変化には言及がない。

たぶん、長谷川伸師の「新鷹会」での討論が基底にありそうだとは推測をつけているのだが、まだ調べていない。昭和18年ごろに、「新鷹会」の重鎮でもあった村上元三さんにそれらしい発表作品があるということなのだが。

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096一橋治済」カテゴリの記事

コメント

かねてからちゅうすけさんがおすすめになっていた宮城谷昌光さん『風は山河より』の文庫6巻を読みおえました。徳川家、信玄観、義元観が変わってしまったので、幾分、自嘲しています。
でも、いい小説を教えていただいたこと、感謝しています。

投稿: tsuuko | 2010.03.07 05:52

>tsuuko さん
宮城谷昌光さん『風は山河より』は、力まないで、武将の生き方、話し方まで教えられますが、そんなことより、布佐とか四郎といった小説の人物を配して、物語として面白いのです。良質の小説にしあがっていましょう?

投稿: ちゅうすけ | 2010.03.07 08:41

宮城谷さんは神眼の持ち主だと思っています。そういえばパパイヤ鈴木の甘粕氏(こっちはNHKのドラマですね)、天野氏、設楽氏、別府、(大西郷の介錯をした)宗太郎、知り合いの出自を聞くとそういう方の子孫と何故か多かったりします。。。

菅沼新八朗定盈。カッコ良すぎます。大久保常源、大久保平助(新三河物語)もイイなぁ。実に魅力的な方々です。

大楠公も実に素晴らしいし、日の本に生まれた歓びを感じますね。であであ。

投稿: えいねん | 2010.03.07 13:01

>einen さん

>宮城谷さんは神眼の持ち主だと思っています。

神眼の持ち主---いいえても絶妙。
いい言葉をお教えいただき、ありがとうございました。

投稿: ちゅうすけ | 2010.03.07 19:07

>東三河にお住まいの鬼平ファンにお尋ね

地名、家姓の「設楽」は、「しだら」とルビをふりますか、「したら」とにごらないのでしょうか?

投稿: ちゅうすけ | 2010.03.07 19:12

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