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2010.04.20

同期の桜(2)

「で、(だい)。忠左(ちゅうざ)の屋敷は、どこだ?」
長谷川平蔵(へいぞう 29歳 400石)が、盟友・浅野大学長貞(ながさだ 28歳 500石)に訊いた。
忠左とは、西丸・書院番第2の組の番士・(能見松平忠左衛門勝武(かつつぐ 28歳 500石)のことである。
この年(安永3年 1774)の大晦日(みそか)ちかくに番を辞して無役となり、療養に専念することになった。

忠左の屋敷は、番町御厩(おうまや)谷であった。
「そのあたりは、裏四番町だったな」
本多采女紀品 のりただ 61歳 2000石)さまの屋敷から坂をくだったあたりだ)
平蔵は、火盗改メをしていた本多紀品の仮牢や白洲のつくりを見学したことがあった。

参照】2008年2月18日~[本多采女紀品] () (
 
左膳は?」
大学長貞が呼びかけた15名の中でただ一人、参加と返事したのが、三浦左膳義和(よしかず 28歳 500俵)であった。
左膳の屋敷は表四番町と聞き、
「なんだ、隣組か---」

「じつは、あちこちから集まるとおもっていたので、本所・二ッ目の橋東詰のしゃも鍋〔五鉄〕の2階を予定していたのだが、は市ヶ谷牛小屋跡だし、佐左(さざ)は本郷元町、忠左左膳が四番町では、本所は遠すぎる。変わりばえしないが、飯田町中坂下の〔美濃屋〕か、市ヶ谷八幡境内の〔万屋〕しか顔がきかぬ」
「市ヶ谷八幡は番町には近いが、高い石段が忠左の躰にはこたえよう」
浅野大学が心配した。

ちゅうすけ注】市ヶ谷八幡宮の境内の料亭〔万屋〕で座敷女中をしていたのが、『鬼平犯科帳』文庫巻4[おみね徳次郎]のおみねである。
また、巻6[狐火]では、鬼平おまさを呼ぶ。
---平蔵がおまさをみちびいた場所は、市ヶ谷八幡宮境内にある〔万屋(よろずや)〕という料理茶屋の〔離れ〕であった。ここは平蔵なじみの茶屋だ。

338c_360
(市ヶ谷八幡 石段上右に料亭 本殿右斜め前に茶屋
『江戸名所図会』部分 塗り絵師:ちゅうすけ 拡大図

「〔美濃屋〕の酒はうまい」
長野佐左衛門孝祖(たかのり 28歳 600俵)の誉めことばで決まった。

三浦左膳は、去年の5月から西丸・小納戸(こなんど)として勤めていた。
「要するに、大番組とか小十人組とかの勤務の士は、西丸は縁が遠いというわけだ」
佐左が直言したが、平蔵大学は相づちをうたなかった。

(職場の縁が薄いということもあろうが、初見(しょけん)がいっしょという縛りそのものに無理があるのだ)
もともと、地縁、血縁、同じ釜の飯縁、同門縁にはかなわない。
こころが通っていない縁は弱い。
金(かね)つながりであっても、金の切れ目が縁の切れ目---というではないか。


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