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2010.04.21

同期の桜(3)

(てつ)が、先刻、提案した本所のしゃも鍋の---」
「ニッ目の橋の北詰、〔五鉄〕」
佐左(さざ)の発言に、平蔵(へいぞう 29歳)が応えた。

佐左とは、西丸・書院番第3の組の番士の長野佐左衛門孝祖(たかのり 28歳 600俵)がことの、盟友仲間での呼び名である。

左膳(さぜん)がくるといえば、縁につながろうと考えなおす輩(やから)が集まってくるかもしれない。そうなると、その〔五鉄〕で歓送会が開ける」
左膳こと、三浦左膳義和(よしかず 24歳 500俵)は、西丸の小納戸だが、祖母・於遊喜(ゆき)が九代将軍・家重(いえしげ)の情愛をうけ、万次郎を産んだ。
万次郎は、のちの三卿の一---清水家を立てた。

於遊喜は、浪人・三浦五郎左衛門のむすめだが、家譜にあるとおり、(形原)松平又十郎親春(ちかはる 500石)の養女ということで形をととのえた。
五郎左衛門の系譜は不明であるが、幕臣にとり立てられ、500俵を給された。

佐左の発案だが、よしたほうがいい。そのような下ごころの者が集まっても、忠左(ちゅうざ)は喜ぶまい」
このたびの手くばりをした浅野大学長貞(ながさだ 28歳 500石)が否を入れ、平蔵が肯首した。
「しゃも鍋は、おれたち3人だけの寄りあいの場所にとっておこう」

松平といえば、長野郷左衛門孝祖も入り養子である。
実家は、(久松松平の分流・孫四郎勝友(かつとも 500石)で、その次男。

ちゅうすけ注】長谷川家は、(久松松平とのかかわりが少なくない。
マイナス側をいいたてると、筆頭は老中・松平定信平蔵田沼派とみたか、あるいはもののかんがえ方が田沼的とみなしたかして、家財を減らす火盗改メに足かけ8年間をすえおき、借財をふくらませたばかりか、父にも息子の辰蔵にも授賜した諸太夫(従五位下、なんとかの守)を与えなかった。
2006年7月28日[トップの情報源] 
もう一人は松平左金吾定寅(さだとら 2000石)。
2009年8月16日~[現代語訳『よしの冊子』(,まとめ)] () () () () () (

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(三浦左膳義和の個人譜)


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