« 〔高畑(たかばたけ)〕の勘助(9) | トップページ | 一橋治済の陰謀説 »

2009.02.11

〔高畑(たかばたけ)〕の勘助(10)

「本来なれば、長山お頭からじきじきにお礼を述べるべきところ、先月より、伏せっておられての、代わって、小職からお渡しいたす」
先手・鉄砲(つつ)の4番手、長山百助直幡 なおはた 58歳 1000石)組の筆頭与力・佐々木与右衛門(よえもん 51歳)が、かたわらの与力・佐山惣左衛門(そうざえもん 36歳)をうながした。
佐山与力とは、10日ほど前に、いつしょに駿府へ出張っているので、気ごころはしれている。
たいていの人間には、好き嫌いの感じを持たないように---いや、持っても顔にはださないようにしている銕三郎(てつさぶろう 24歳)であるが、長山組頭は丑寅(うしとら 北東=鬼門)に近い。
仮病であろうが、顔があわなくてよかったと、内心、ほっとしている。

参照】2008年11月8日~[火盗改メ・長山百助直幡多(なおはた)] () () (

佐々木筆頭にうながされた佐山与力が、そんな銕三郎のこころのうちを斟酌しないで、用意していた紙包みを膝前へ置いた。
「少ないが、こたびの〔春色(しゅんしょく)〕の佐平(さへい 30がらみ)の逮捕に対するわが組の寸志、お受けくだされ」
佐々木筆頭が言葉をつないだ。

春色〕の佐平は、谷中(やなか)八軒町の大東寺の住職・日現(につげん)が、千駄木坂下に囲っていた妾・お(せん 22歳)をつまみ食いし、鐘撞堂の建立金の集まり具合やその収納箇所まで訊きだし、〔高畑(たかばたけ)〕の勘助へ流していた。

A_150佐平を思い出したのは、彦十(ひこじゅう)である。
もっとも、彦十に言わせると、2年前、流れづとめの佐平を、常陸・土浦藩(9万4000石 藩主・土屋能登守篤直 あつなお 42歳=当時)の深川・小名木川ぞいの下屋敷の賭場で会った男だと思いださしてくれたのは、だち(友だち)の雄鹿であったそうな。(鹿図 柴田義重氏)

同郷ということで、誘ってくれた〔狩野かりの)〕の九平(くへい 36歳=当時)の配下・〔酒匂(さこう)〕の与六(よろく 29歳=当時)が、こんどのお盗(つと)めのために一味に加わった〔春色〕の佐平どんだと引きあわされた。

ちゅうすけ注】〔狩野〕の九平は、銕三郎鬼平と呼ばれるようになった『鬼平犯科帳』文庫巻6[網虫のお吉]に登場。

その夜、彦十はまったく目がでなかったが、佐平はばかづきしたので、こん畜生と、覚えていたのである。
「〔春色〕とは、また、変わった〔通り名(呼び名とも)〕でねえか」
与六が絵解きをした。
「貸した春本でその気になったおんなの躰を自由にしてしまい、金のありかやなんやら訊きだした仔細を、諸方のお頭に売っていなさるのさ。それでついた〔通り名〕だが、佐平さん自身も気にいってござる」
「看板代わりでさあ」
佐平がしゃあしゃあと言った。 

B360
(北斎 廻り貸本屋〔春色〕の佐平のイメージ)

の家を張っていた長山組が捕えて痛めつけて吐かせた〔傘山(かさやま)〕の盗人宿を急襲したが、もぬけの空であった。
佐平は、伝馬町の牢へ移されたその夜に、窒息死させられた。
傘山〕一味の手がまわったのであろう。

銕三郎への紙包みには、3両入ってたいたが、うち1両ずつを、〔耳うち〕の紋次(もんじ 26歳)、〔相模〕の彦十、〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち)にわたしたので、銕三郎の手元にはなにも残らなかった。
権七は遠慮したが、彦十紋次は当然のような顔でふところへしまった。
銕三郎は、
権七どの。おちゃんの晴れ着代です」
と無理やり押しつけた。

足を病んでいる〔傘山〕の弥兵衛(やへえ 40がらみ)に代わり、大東寺への押し入りを差配したのも〔高畑(たかばたけ)〕の勘助(かんすけ)と、佐平が白状した。
脅しの科白は、弥兵衛が健在であることを暗示するための、勘助によるわざとの詐言(さげん)であった。
もっとも、本物の弥兵衛勘助の身の丈の大差はだましようがないので、寺僧たちに目隠しをほどこしたのだと。


ちゅうすけのことわり】谷中八軒町の大東寺の寺号、および住持・日現は架空。

|

« 〔高畑(たかばたけ)〕の勘助(9) | トップページ | 一橋治済の陰謀説 »

104秋田県 」カテゴリの記事

コメント

ちゅうすけさんの創作とばかり思っていたら、傘山んの弥兵衛お頭や狩野の九平お頭といった小説のお頭さんまで登場するなんて、本格的なんで嬉しくなっています。
これからも期待しています。

投稿: tomo | 2009.02.11 05:47

>tomo さん
いつも、貴重なご感想、ありがとうございます。
当ブログは、長谷川平蔵宣以---いわゆる鬼平の14歳ごろから歿する50歳まで(小説は42歳~50歳)を史料によってたどりながら、周辺の幕臣や大名、そして庶民や盗賊にライトをあて、小説と史実を交錯させるとともに、〔荒神〕のお夏に誘拐されたおまさを救出することを目的としています。
〔傘山(かさやま)〕の弥兵衛お頭や〔狩野(かりの)〕の九平お頭も、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助お頭や〔狐火(きつねび)〕の勇五郎お頭、〔法楽寺(ほうらくじ)〕の直右衛門お頭などに劣らず、重要なキャラです。
ただ、いまのところは、銕三郎が24歳なので、お頭たちも『鬼平犯科帳』よりも20歳~25歳ほど若返らないといけません。
その年齢あわせに時間を大きくとられています。
しかし、なんとか、終末までもっていければ---と願っています。ご声援、これからもよろしくお願いいたします。ご声援がなによりのはげみになります。

投稿: ちゅうすけ | 2009.02.11 12:35

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 〔高畑(たかばたけ)〕の勘助(9) | トップページ | 一橋治済の陰謀説 »