火盗改メ・長山百助直幡(なおはた)(2)
長山百助直幡(なおはた 57歳 1350石)が、表六番町の本多邸を辞して、赤坂中町の自邸へ帰っていった。
与力筆頭・佐々木与右衛門(よえもん 50歳)は残って、別室で、本多組の筆頭与力・小村参次郎(さんじろう 52歳)などと打ち合わすために、引きさがった。
そのまま客間にいた銕三郎(てつさぶろう 23歳)は、こころやすだてに、当主・采女紀品(のりただ 55歳)にi訊いた。
「長山さまの祖のお方は、大権現(家康)さまに、どういう大手柄がおありになったのでございますか?」
「うむ。じつは、三河以来の家柄ではなく---」
「武田ですか?」
「いや。五代さま(綱吉)の、神田の館でお召しかかえになった」
そりきり、紀品は口を閉ざした。
したがって、ちゅうすけが代わって、銕三郎へ説明しよう。
深井雅海(まさうみ)さん『江戸城--本丸御殿と幕府政治』(中公新書 2008.4.25)は、2008年4月29日[〔盗人酒屋〕の忠助] (1)でも紹介した。
同書に[綱吉の将軍就任に伴う神田御殿家臣の幕臣化]という項がある。
いささか長めになるが、長山家にかかわる(?)ことだから、ま、いいとしよう。
徳川綱吉は、三代将軍家光の第四子として正保三年(1646)正月に生まれ、慶安四年(1651)四月、六歳のとき、父家光の死の直前に「厨(くりや)料」として一五万石を与えられた。
ついで、寛文元年閏(うるう)八月、一六歳のとき、兄の四代将軍家綱から一〇万石を加増されたニ五万石となり、上野(こうずけ)国館林(たてばやし)城主に就任した。
こうした「家門大名」が取り立てられた場合、将軍家から付属家臣がつけられるのが慣例であった。綱吉も、誕生直後から家臣をつけられているが、館林城主に就いた頃までには、少なくとも約ニ〇〇人の幕臣ならびに幕臣の子弟が付属している。
あることを調べるために、ちゅうすけが『寛政重修(ちょうしゅう)諸家譜』の全巻・全ページをチェックしたとき、
「神田の館において常憲院殿(綱吉)につかへたてまつる」
「桜田の館において文昭院殿(家宣 六代)につかえへたてまつる」
と書かれた幕臣がよく目についた。
深井さんの説にあるとおり、所領にふさわしい家臣(軍)団を整えるために、取りつぶしその他で禄をうしなっていた浪人たちの中から、有力な推薦者のある者が仕官できたのであろう。
再び、『江戸城--本丸御殿と幕府政治』。
綱吉が館林城主になった二~三年後には(『館林様分限帳』による家臣団は)一四一五人、将軍となる直前には二五一一人を数えることができる。このうち、御目見え以上の家臣の前歴を調べたのが表27である。
幕府からつけられた家臣が六三%を占め、残りが新規召抱えであることがわかる。
長山家の祖が新期召抱えに入ることは、『寛政譜』に記されている。
ただ、解(げ)せないのは、2代目・弥三郎直利(なおとし)の、250俵からのたび重なる加増の理由である。
綱吉が江戸城入りしたのは、35歳のとき。
小姓組の番士から主の身辺の用を弁ずる小納戸となっていた弥三郎は34歳。
まさか、綱吉に男色の嗜好があったとはおもえないから、よほどに気にいられていたのであろう。
柳沢吉保(よしやす 享年57)の、家禄160石・廩米370俵から甲府城主・15万1200石の例もないではないが---。
直利は、ついには1350石を給されている。
理由を記した史料があれば、目を通したいものである。
本多紀品が、にがにがしげな口ぶり---
「三河以来の家柄ではなく---」
が、なんとなく<、わからないでもない。
もう一つの不思議は、武門の出かどうかもさだかでないのに、直幡が先手の組頭に任じられた理由である。
ものの本によると、本貫は加賀とあり、そちらで、武家であったのか。
先手組頭になる前の書院番で、与頭をつとめていたときの上司の番頭は、金田遠江守正甫(まさとし 在任49~59歳)で、偶然であろうが、番頭の期間は、直幡の与頭の期間と、ほとんど重なる。
上司・遠江守正甫は、そのあと大番の番頭へ転ずるが、栄転の前に、百助>直幡を先手の組頭へ推挙したとも推量できないこともない。
長谷川平蔵宣以(のぶため)の生涯を仔細に観察していると、歴史に名をなさないような幕臣の動きやさまざまな思惑めいたものが透けて見えてくるので、なかなかに、やめられない。
【ちゅうすけ注】長山家の拝領屋敷=緑〇は、綱吉のころにもかかわらず赤○=赤坂氷川明神社のそばに700坪前後。奇しくも長谷川家の最初の拝領地と近接している。
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