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2009.08.12

与力・浦部源六郎(2)

「わざのお招き、恐縮でございました」
西町奉行所与力・浦部源六郎(げんろろう 50歳前後)は、折り目正しくあいさつを交わした。
大柄ではないが、齢にはみえないしまった躰躯で、鬚が濃いたちらしく、この時刻(暮れ六ッ)には、もう、うっすらと青みがさしている。

「不案内なもので、かようなところで、申しわけございませぬ。ご容赦を」
場所は、北野天満宮の表大鳥居前の〔敦賀屋〕伊助である。

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(〔敦賀屋〕伊助 『商人買物独案内』)

相談をうけた〔瀬戸川せとがわ)〕の源七(げんしち 56歳)が、銕三郎(てつさぶろう 27歳)の身分を考慮して、
「本来なれば、先方さまがご招待なさるのが筋です。しかし、ことがらがことがらだという長谷川さまのお気持ちもございましょう、質素なほうがよろこばれましょう」
選んでくれた。

参照】20097月20日~[〔千歳(せんざい)〕のお豊] () (
2009年8月1日[お竜(りょう)の葬儀] (

菜飯と田楽、それと川魚料理の店で、昼は参詣客で混んでいるが、夜はそうでもない。
なにより、奉行所与力屋敷から小半刻(こはんとき 30分)もかからず、距離にして15丁(1600m)ほどということも選択のもととなった。

「5日前に、太田播磨正房 まさふさ 59歳 400石)さま、小普請(こぶしん)奉行方への任命状がとどきました。それとともに、長谷川備中さま、ご就任の通達も---」
父・平蔵宣雄のことを〔備中守〕と呼ばれ、わがことのように晴れがましく、また、面はゆく感じたが、わざと表情を変えず、
「で、摂津さまのご離京は?」
備中さまへの引きつぎがすみましてから---」
「なるほと」

配膳をはこびおわった仲居たちをさくがらせてから、銕三郎浦部与力に酌をし、
「拙の上洛は、父の指図ではなく、拙からの申し出によったものです。父は、若いときに京や奈良で遊んだそうです。なれば、拙も父の着任前に遊ばせてももらおうと---」
浦部は、そのいい訳を、なにくわぬ顔で聞きながしたあと、
「押小路のお家は、いつまでお使いでございますか?」
「発覚(バレ)でおりましたか。はっ、ははは」
「はっ、ははは」
浦部は、それ以上、追求しなかった。

「手前の息・彦太郎(ひこたろう)は春には20歳になりますのに、朴念仁でお遊びのご案内役には向きませぬ。お許しください」
「なんの、なんの。不案内のほうが、おもいかけない掘り出しものもあろうかというもので---うっ、ふふふ」
銕三郎は一瞬、〔千歳(せんざい)〕のお(とよ 24歳)のきびきびと動く姿態をおもいだしていた。
浦部与力は、そんな銕三郎の思惑を見すかしていたが、
「お愉しみの掘り出しものがありましたら、お洩らしいただきたいもので---ま、この齢ですから、おなごのことは縁なしごとですが---」
微笑とともにうなずいた。

が、眸(め)が笑っていないことに気がついた銕三郎は、
(もしかすると、琵琶湖でのお(りゅう 享年33歳)の事故、その葬儀に在京の盗賊の首領たちが香華したことも探知しているのかも---〔狐火(きつねび)〕への出入りもやめなければ---)

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A2_360
(太田播磨守正房 個人譜)


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