平蔵、書状を認めた
その後の暮らしぶりを問うたあと、ずばりと本題に入った。
ようやくに色香がわかるようになってきたらしい13歳のわが豚児・辰蔵(たつぞう)の初陣に、お力ぞえを頼みたい。
豚児のせっかくの初陣ゆえ、のちのちまでの語り草になるようなお相手とあいまみえさせたい。
そう、「微風、蘭杜(らんと)を吹く---そよかぜのたびに芳(かぐわ)しい思い出がよみがえるような---。
もちろん齢上で、戦場での駆け引き、技も汗馬のあつかいにもすぐれ、はやる若武者をみちびいておちつかせ、勝ち名乗りをあげさせてくださるような麗人---。
できれば、若くて孤閨をかこっている佳女に開眼させてもらえれば、父親としていうことはない。
どうして江戸で---と疑念をお持ちになるのもっともだが、あとを引いては、前途のある若者を迷わせてしまう。
遠く、旅の空での夢のような逸事としてこころに秘めさせたい。
なんとも、だらしない親ばかの頼みごと、お三津(みつ 22歳)どのなら、われの意を察し、お手配くださるものと希願しておる。
このことは、わが室にも内緒であり、密かにおすすめのほどを。
もちろん、豚児には、われら2人の仕組みなどとはつゆ悟られないよう、ご配慮いただけるものと信じておる。
ついでながら、〔化粧(けわい)読みうりの版元のこと、くれぐれもよろしくお取り扱いのほどを。
認(したた)めながら、平蔵(へいぞう 37歳)は、なんども顔を赤らめて筆をとめては額ににじむ汗を懐紙でぬぐったことか。
頭をよぎるのは、23年前のお芙佐とのこと、つい半年前のお三津の家での秘めごとであった。
口はぶつぶつと、
(このような恥しらずのことを頼むのも、辰蔵の将来をおもえばこそ---)
辰蔵のせいにしていた。
登城の途中で鍛冶橋の町飛脚屋へ立ちより、嶋田宿までの飛脚便料120文(4800円)を払いおわり、
「矢は放たれた」
返事がきたら、すぐさま、旅の手つづきをとるこころづもりになっていた。
夕刻、深川・冬木町寺裏の茶寮〔季四〕に顔をだすと、里貴(りき 38歳)が、
「建部(たけべ)さまが、奥方さまとご嫡男づれでお越しくださっています」
先手・鉄砲の第13の組頭の建部甚右衛門広殷(ひろかず 55歳 1000石)であった。
【参照】2011年6月14日~[建部甚右衛門と里貴] (1) (2) (3)
奥へ伝え、
「同席をと、申されております」
しかたなく平蔵は、松造(よしぞう 31歳)を帰し、家族団欒の席へ加わった。
「建部家では、われがおいしい馳走を体験すると、奥と吉十郎(きちじゅうろう 12歳)にも味わせるしきたりになっておっての」
内室・於結(ゆい 42歳)は、ふくよかな面高の顔をほころばせ、
「ほんに、いいお店をお引きあわせくださいまして---」
ゆったりした口調であいさつをよこした。
(いかん。われも、久栄(ひさえ 30歳)と辰蔵の舌を鍛えてやらねば---)
おのが反省が辰蔵にとって手遅れになっていることに、平蔵は気づくはずもなかった。
あとで藤ノ棚で里貴が洩らしたところによると、於結は手控え帳をたずさえており、板長を呼んで料理の勘どころを訊いては、いちいち控えたという。
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