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2011.11.09

月輪尼の初瀬(はせ)への旅(8)

深谷(ふかや)駅は熊ヶ谷(くまがや)宿から2里27丁(11km)。
平坦で変わりばえのしない田園の景色がつづいた。

村落は、夏が近いというのに、浅間山の山焼けと冷夏つづきのために萎(しお)れていた。

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(中山道・熊ヶ谷宿西端-石原村 『中山道分間延絵図』道中奉行製作)

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(中山道・石原村西はずれ-新嶋村 『中山道分間延絵図』同上)

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(中山道・新嶋村西はずれ-玉井村 『中山道分間延絵図』同上)


馬上の月輪尼(がちりんに 24歳)は、昨夜のけだもののように荒(あら)ぶった辰蔵(たつぞう 16歳)のこころのうちをおもいやりながら、『般若心経』の一節を声を殺して唱えた。

是諸法空相(ぜしょほうくうそう)
不生不滅(ふしょうふめつ) 
不垢不浄(ふくふじょう) 
不増不減(ふぞうふめつ)
是故空中(ぜこくうちゅう) 
無色(むしき) 
無受想行識(むじゅそうぎょうしき)
無眼耳鼻舌身意(むがんびぜつしんい) 
無色声香味触法(むしきしょうこうみそくほう)
無眼界(むげんかい) 
乃至無意識界(むいしきかい) 
無無明(むみょう)
亦無無明(やくむむみょうじん) 
乃至無老死(ないしむろうし)
亦無老死尽(やくむろうしじん)

空(くう)の世界を悟れば、
ありとあらゆるものは転生していることがわかり
生まれず滅せず、
垢つかず汚れず、
増すこともなく減りもしない。
目に見えるものにこだわることもなく
感覚・想念・行為・知覚にまどわされることもない、
視覚・言葉・匂い・味覚・肉体・情念にも左右されない、
目で見る境界も意識の限界もなく、
明かりがということもなく、明かりが尽きることもなく、
老いも死もなく、
さらに老いや死がつきることもない。

月魄(つきしろ)は尼の無声の読経を感得したのか、寺院の前でこだわらなくなっていた。
深谷までの道ぞいに寺が少なかったこともさいわいしたかもしれない。

大和の長谷寺で勤行していたころ、いくどとなく『般若心経』を暗唱したが、「空相(くうそう) 悟りの境地」がすっきり見えてきたことはなかったといったほうがいい。{
情念が強すぎるのだと諦めた。
情念を殺しきろうとはおもわなかった。

まして、仏に仕えたことのない辰蔵に、
無受想行識(むじゅそうぎょうしき)
感覚・情念・行為・知覚、見えるものにまどわされるな
といっても無理であろう。

少年らしいときの辰蔵は妻屋(つまや 閨)で、やしさく愛撫してくれる。
大人ぶろうとしている夜は、一変、猛々(たけだけ)しく動く。
昨夜がそうであった。
そんなとき、敬尼(ゆきあま)も若年増らしく乱れきる。
そのほうが辰蔵が悦ぶとおもうからであった。

深谷宿の東端で、はるかに国済寺の山門がのぞめた。

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(深谷宿・国済寺山門)


尼は馬上のまま念珠をかけた掌で遥拝し、駒をすすめた。

参照】2007114[深谷宿・国済寺
鬼平犯科帳』文庫巻22[迷路]で鬼平が出張り、ここを本拠とした。

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コメント

16歳の少年と24歳の若い尼、すばらしく賢い3歳駒の旅、空は晴れ渡っているし、夜はたっぷりあるし、すてきですね。あこがれます。

投稿: tomo | 2011.11.09 05:45

>tomo さん
初夏の中山道のラブラブ道中、たしかに楽しいでしょうが、芳尼は、査問のことがあるから、一方では気が重いのをつとめて明るく振舞っているのかもしれません。
この先のことは、ちゅうすけにも予想がつきません。

投稿: ちゅうすけ | 2011.11.09 12:31

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