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2007.01.14

深谷宿 国済寺

JR高崎線・上野駅発09:15で、中山道の9番目宿場だった深谷へ行ってきた。

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4日前の1月10日にも、上野駅14:29で1駅手前の籠原まで行ったのだが、快晴にもかかわらず、陽が落ちそうだったので、あきらめて引き返したのだった。事前リサーチ不足で、上野から1時間以上も電車に乗るのは想定外だった。

英泉は、[岐阻(きそ)街道 深谷ノ駅]では、左褄をとって職場入りする飯盛女を主題としている。

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その跡を見に行くつもりはなかったが、ことのついでに、関係箇所を見てしまった。熊谷宿から国済寺村落へ中山道をたどっていて、「見返りの松」の石碑と、2代目という、ひょろりと樹高2メートルにも満たない松樹をカメラに。銘板には、初代は「平成18年2月に枯死したので」とあった。

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一夜の名残りを惜しむ旅人を、飯盛り女たちが見送りに出たのがここという。昨夜の思い出をかみしめながら、旅人は見返り見返り、熊谷宿へ向かったと。

「深谷へ行く」というと、たいていの人は「深谷葱(ねぎ)で有名な?」と聞き返す。
で、「深谷葱畑」を探して撮った。

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池波さんは、「深谷は瓦焼きで知られている。利根川が氾濫したときの粘土を利用するのであろう」と書く。

そう、[22 迷路]でだ。

この長編の終章近く、鬼平は〔猫間(ねこま)〕の重兵衛の逮捕に、熊谷へ向かう。先発の沢田小平次たちとの落合い場所は、国済寺。

で、国済寺の写真を撮りに行ったのだ。

駅前の交番で道を確かめた。中年のお巡さんは、国済寺を知らなかったが、地図で確かめて、国道17号を行けと。「何? 徒歩? 2,30分かかるよ」「歩くのは苦になりませんから」

旧・中山道を行くつもりなので、指示には従わなかった。池波さんも「半里」としているので、2キロメートルは覚悟の上。
寂れた旧・中山道を歩いた。いつもの時速6キロメートルの速足で15分---先述の「見返り松」に出た。そこから17号沿いに150メートルほど。

「国済禅寺」と刻まれた石柱が出迎えてくれた。その奥に、深谷市文化財に指定されている「黒門」と「三門」。

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下は、三門。色布は新年の化粧用?
深谷市の文化財一覧

広い境内の正面に、これまた広大な本堂。さすがに由緒うある寺院だ。上杉憲英(のりふさ)による康応2年(1390)の建立とか。

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沢田小平次もいいところへ目をつけた。

帰路は、灌漑用の用水路だったらしい「遊歩道」をまっすぐに歩いたら、JR深谷駅に出た。お巡さん、どうしてこれを教えてくれなかったか。まあ、初手から旧・中山道を歩くつもりだったから---。

【つぶやき】
大島の章さんの書き込みに、JR東京駅のレンガが深谷製と教えられた。それて深谷駅もレンガ造り。
Jr

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161小説まわり・ロケーション」カテゴリの記事

コメント

お疲れ様でした。由緒のありそうな、立派なご本堂ですね。空模様もきれいで、お写真からも雰囲気が伝わってくるようです。

投稿: えむ | 2007.01.14 19:40

>えむ さん

空の色にまでお目を止めていただき、恐縮です。
幸い、雲ひとつない冬晴れの天気に恵まれました。

それにしても、池波さんは、『木曽路名所図会』からいろいろ引用なさっています。
ブログで『中山道六十九次』をはじめていて、理解が及びました。

投稿: ちゅうすけ | 2007.01.15 08:25

 澄み切った青空。高級デジタル一眼レフがそのままの色を再現しています。
 
 一昔前、この地を仕事の関係で通った地でよく見かけた景色、「深谷葱」ネギが高騰したのも10年前ぐらいでした。産地は旧深谷市より旧岡部町の方が現在では多く出荷しているようです。

 深谷は煉瓦の発祥地で、明治20年ごろ、国策で良質な粘土が取れたこの地に日本煉瓦製造会社を渋沢栄一らが外国の技術者を招いて作りました。

 東京駅のレンガもここの産です。

 往時の中山道からだいぶそれましたが。

 

投稿: 大島の章 | 2007.01.15 13:11

はあ、東京駅のレンガが、ねえ。それで、納得です、JR深谷駅か、レンガ造りの東京駅風なんですね。

写真を追加しましょう。

投稿: ちゅうすけ | 2007.01.15 16:39

深谷駅にもやはりエスカレーターがついたんですね。

渋沢記念館、渋沢学校など見学のバスツアーで訪れたのは10年位前のことで、目の前にレンガの駅を見たときは「東京駅と同じだわ~」と何故か感動しながら喜んだことを思い出します。

先生の訪問された「国済禅寺」、建立から600年以上もたっているのに堂々と立派な佇まいですね。
このお寺を尋ねたい衝動にかられています。

投稿: 永代橋際蕎麦やのおつゆ | 2007.01.15 23:09

>永代橋際蕎麦やのおつゆ さん

三門や本堂の立派なこともそうですが、上杉家の墓もあるらしく、境内の広いことといったら---。
明治以後、国道17号に門前を大きく削られてなお、いまの威容をたもっているのですから、立派なものです。

機会があったら、鬼平ゆかりの寺ですから、熱愛でウォーキングに訪れてもいいですね。小田原より安上がりかも。

投稿: ちゅうすけ | 2007.01.16 12:51

熱愛倶楽部のみんなと行けるように是非お願いします。
「特別長篇・迷路」を読みだしウオーキングに備えていることにします。

投稿: 永代橋際蕎麦やのおつゆ | 2007.01.17 21:27

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