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2007.02.25

総泉寺とお化け地蔵

[12-4 密偵たちの宴]に登場する浅草・橋場の巨刹・総泉寺のことは、2007年2月7日の当欄、に、ざっと紹介した。寺域2万8000坪と広大。

密偵らしからぬあるたくらみを胸に、〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵が、浅茅(あさぢ)が原を総泉寺の黒門の方へ行く盗賊〔草間(くさま)〕の貫蔵を見かける設定。
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橋場の総泉寺(『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

もっとも、総泉寺との関係でいえば、『剣客商売』のほうがはるかに深い。

北側の田圃に、大治郎の家へ通ずる小道がついている。このあたりは近くの総泉寺(そうせんじ)の土地で、小兵衛が買い取り、息子のために改造してやった家には、以前、総泉寺の田畑にはたらく百姓たちが住んでいたものであった。([-2 剣の誓約]p91 新装p99)

つまり、秋山大治郎の住まい兼道場の因縁があり、あたりでの事件もいろいろと起きる。
[2-1 鬼熊酒屋]p11 新装同。 [5-4 暗殺]p171 新装p188 [11-2 勝負]p95 新装p104 [11-4 その日の三冬]p145 新装p163

『風俗画報』(明治41年7月20日号 [新撰東京名所図会 浅草区 其之四])に、

浅茅が原の松並木の道の傍に大なる石地蔵ありしを、維新の際並木の松を伐取。石地蔵は総泉寺の入口に移したり。

として、同号のカラー口絵にその石地蔵が載っている。
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頭上の笠が回転するためか、身の丈が3m余もあるためか、地元で「お化け地蔵」と呼ばれたこの石地蔵が、大震災後に板橋区小豆沢(あずさわ)へ移転した総泉寺に随伴した形跡が見えない。
鬼平熱愛倶楽部のウォーキング時(2007年2月24日)に総泉寺へ参詣、応対の寺僧に質した。
「旧地に残っている。地震で落ちた頭部を複旧するとともに、背後から添えた支柱で支えている」

かつての総泉寺の門前あたり---橋場2丁目5-3を訪ねた。
支院だった松吟庵が松吟寺(住職・前田泰明師)と改称、その敷地内に、地蔵像はあり、「お化け地蔵」と親しまれた経緯も台東区教育委員会の銘板に記されていた。
200_2
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お化け地蔵の1件は、これで落着。

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コメント

明治維新ごろに総泉寺門前に移転されたお化け地蔵なら、総泉寺がわがものとして小豆沢へ持っていくわけにはいかなかったでしょうね。

そういえば、銘板に書かれているように、地蔵の西傍らにあった常夜灯もこの地に残っていました。

投稿: ちゅすけ | 2007.02.26 04:30

ココログの画像の左右の最大幅は360ピクセルのようです。
銘板の文字が判読しにくいときは、ルーペを当ててお読みになつてください。

投稿: ちゅすけ | 2007.02.26 04:32

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