総泉寺の入口の常夜灯
震災前まで浅草・橋場にあった名刹・総泉寺と、その門前に移動してきたお化け大地蔵に触れた『風俗画報』(明治41年7月20日号 [新撰東京名所図会 浅草区 其之四])は、つづいて、
当寺入口(現・台東区橋場2丁目5-3)に常夜灯あり。東畔に大地蔵を安置す。
と記す。
常夜灯は、『風俗画報』のカラー絵にも描かれている。
しかし、絵の常夜灯と現存しているのとでは、笠のデザインが異なる。
絵のほうは笠に手のこんだ彫刻がほどこされている。
台東区教育委員会の銘板も、常夜灯がいつ制作され、だれが油を提供したかは記していない。
江戸期、菜種油はかなり高価で、ふつうの民家では油代の節約のためにさっさと消したという。
人通りのない道の暗さを、[1-6 暗剣白梅香]の描写を借りると、「歩いて行く自分のうしろから、闇がふくれあがり呼吸をして抱きすくめてきた」
総泉寺の入口あたりも、『江戸名所図会』の長谷川雪旦の絵で見ると、人家はなく、夜には人通りなどほとんどなかったとおもえる。
なのに、常夜灯はだれのためだったのだろう?
寺僧たちの夜中の出入りのため? なぜ暗夜に? 修行?
現存する常夜灯をながめながら、やくたいもないことを考えていた。
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コメント
現在の写真に写っている、「く」の字の木標は、倫理団体だが「平和祈念」のために建てたもので、風雨にさらされ、文字が消えた。
投稿: ちゅすけ | 2007.02.26 09:14
『風俗画報』の絵(部分)の画家は、松谷とおもうけど、この絵には銘がない。
常夜灯の笠の違いからいうと、松谷は、いつも完全に写実していたとはいえないのかも。
投稿: ちゅすけ | 2007.02.26 09:17
常夜灯の種類は江戸後期から様々な形をしたものが出ていますが特に明治になってからは装飾が派手なようにおもわれます。
「風俗画報」の画家が時代の感覚を入れて書いたような気がするのですが・・・、
現存している灯篭が門前にあったもと同一と確定もできないし、ちゅうすけさんのように何のためにこの場所に常夜灯を設置したかと考えると思いはつきませんね。
投稿: みやこのお豊 | 2007.02.28 01:30