辰蔵、失恋(3)
「いいか。辰蔵(たつぞう 13歳)の失意に触れるでないぞ。そしらぬふりをしていてやれ。当人もいろいろ考えているはずゆえな」
平蔵(へいぞう 37歳)が寝所で久栄(ひさえ 30歳)にいいきかせた。
久栄は腹のなかでは、
(ご自身の体験よりも辰蔵のほうが早くなりそうなもので、あわててござる)
たかをくくっていた。
もっとも、これがむすめの初(はつ 10歳)や清(きよ 7歳)の喪失にかかわるようなことであったら、真剣に心配したろう。
久栄(17歳)は、銕三郎(てつさぶろう 24歳)と華燭の式をあげる前に、
「私の躰にお徴(しるし)を---」
懇願は、果たせなかった。
【参照】2008年12月18日~[「久栄の躰にお徴(しるし)を---」] (1) (2) (3) (4)
2009年2月13日~[寺島村の寓家] (1) (2) (3) (4)
つまるところ、久栄が銕三郎の徴を秘部に印されたのは、初夜、寺島村の寓家においてであった。
平蔵は自分の体験から、辰蔵が初穂をつまれるのは、13歳でもかまわないと断じていた。
ただ、双方にいい思い出がのこるような経緯(ゆくたて)であってほしい。
菅沼藤次郎(とうじろう 13歳=当時)のような、いささか汚れた形であっては困る。
繰り返すことになるが、藤次郎の初相手は、藤次郎の父の性愛の相手を永くつとめていた佐和(さわ 32歳)であった。
【参照】2010年7月21日~[藤次郎の初体験] (1) (2)
やさしく教えてくれる齢上がいい---といって、上すぎても---辰蔵の母・久栄より若くあってもらいたい。
となると、自分のときのように25歳前後より下ということになろうか。
しかも、あるていど男に馴れて---というか、性技の綾をこころえてい、この道の奥の深さを暗示してくれるおなごであれば申し分ない。
そんな相手というと、このころでは、嶋田宿の本陣〔中尾(奥塩)のお三津(みつ 22歳)しかいない。
【参照】2011年5月5日~[本陣・〔中尾〕の若お女将・お三津] (2) (3) (4) (5) (6) (7)
お三津ならおもしろがって引き受けるかもしれないが、「父子鍋」という困った行いになる。
(われも世間が狭くなったものだ。いや、まて---)
おもしろがる---といえば、〔銀波楼〕の女将・千浪(ちなみ 43歳)ならどうであろう?
商売柄、顔も広いし---。
(だめだ。江戸のおんなでは、双方、一夜かぎりではおさまるまい。納豆ではないのだから、あのあと、糸を引いてはまずい)
そう考えると、亡夫・宣雄(のぶお 享年55歳)は、じつに的確であった。
箱根越えの手前の小田原か、越えた先の三島宿あたりで銕三郎が夜遊びにでたがるであろうと見越して太作(たさく 50がらみ)に策を授けておいた。
運よく、三島宿の本陣の縁者にお芙佐(ふさ 25歳)のような、うんと齢上の夫を亡くしたばかりで、しかも男との性体験は亡夫だけという、天佑としかいいようのないおんながいたものだ。
これは、機会(おり)をみ、辰蔵を旅にだすしか術(て)がなさそうだ。
「殿さま。まさぐりがなおざりになっております。お疲れでございますか?」
「う、うん。許せ。考えごとをしておった」
「おやめになりますか?」
「そうもいくまい。久栄が、その気、十分のようだ」
「うふ、ふふふ」
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