寺嶋村の寓家
「おや、源七(げんしち)どの。 いつご出府に?」
銕三郎(てつさぶろう 24歳)が声をかけた相手は、まさしく、〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七であった。
記憶では、お頭の〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 49歳)より4つ齢上のはずだから ことし53歳---それにしては、めっきり白髪がふえている。
〔盗人酒屋〕の八ッ半(午後3時)で、店は開店前。
源七が坐っている飯台の前には、おまさ(13歳)が姉さんぶった口調で、10歳ほどの男の子と話している。
「長谷川さま。こちらは、お頭のお子の又太郎坊です。11歳におなりです」
「そうですか。銕三郎です。おまさの手習いの師匠です」
「又太郎どす。お世話さんになります」
京都弁で挨拶をすると、銕三郎には興味をしめさず、おまさへ、深川の八幡宮は石清水(いわしみず)八幡宮とどっちが大きいか、などと質問をあびせることに余念がない。
「子づれの仕事(おつとめ)とは、また、かんがえましたな」
「そんなんではありません。又坊が、どうしても江戸が見たいというので、くだってきたのです」
「それだけのことで、わざわざ---」
「お頭が、世間はひろく見ておくものだとお考えなので---」
「世間だか、獲物の店だか---」
「長谷川さま。めったなことを---」
「口がすべった。許されよ」
源七は、この江戸見物には、寺嶋村は離れすぎているので、あの寓家には泊まっていない。
いつもの定宿の日本橋・菊新道(きくじんみち)の〔山城屋〕に草鞋をぬぎ、諸々を見物しており、きょうは五百羅漢に参詣した帰りだと。
【参照】2008年5月28日~[〔瀬戸川〕の源七] (1) (2) (3) (4)
「それでは、向島の、お竜(りょう 30歳)どのたちが住まっていた家は、いまは空いていると?」
銕三郎は、うっかり、「お静(しず)さん」、といいかけて、あやうく、「お竜どのたち」でとどまった。
こころなしか、源七の表情が動いたようにおもえた。
〔狐火〕の勇五郎の妾だったお静とは、因縁がある。
【参照】2008年6月2日~[お静という女](1) (2) (3) (4) (5)
2007年3月6日[初代〔狐火(きつねび)〕の勇五郎]
いや、あの寓家で睦みあったのはお静とばかりではない。
事情があって、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(きのすけ)から〔狐火〕の勇五郎へゆずられた、〔中畑(なかばたけ)〕のお竜とも、その家の湯屋で情事をもったことがある。
それは、去年の夏前であった。
【参照】2008年11月16日~[宣雄の同僚・先手組頭] (7) (8) (9)
2008年11月25日[屋根船]
「寺嶋村の寓屋のことで、なにか?」
訊いた源七の声に、おまさが又太郎の話しかけを制し、真正面から銕三郎を瞶(みつめ)てきた。
「どうされているのかとおもっただけで---」
(おまさは勘がするどい。とくに、久栄(ひさえ 17歳)を恋敵のようにおもっているからな)
「お使いになるのでしたら、留守番の重(しげ)婆さんにそうおっしゃればいいように、手はずをとっておきます」
「ああ、留守番を置かれましたか」
「空き家のままだと、無用心ですから」
銕三郎は、久栄との最初の躰あわせ、便船でわざわざ木更津くんだりまで行かなくても、もっと近間で---と考えないでもなかった。
しかし、おまさに黒い眸(ひとみ)で凝視されると、婚儀前に乙女(おとめ)のしるしをくれるという久栄に、これまで2人のおんなを抱いた家で---というのは、あまりに不謹慎というか、久栄にすまない気がしたのである。
「剣友に岸井左馬之助(さまのすけ 24歳)という男がおりまして、押上の春慶寺に寄宿しておるのですが、居を移したいとか言っているもので---」
銕三郎は、おまさの手前、苦しい言わけをした。
「銕(てつ)兄さん。それはいけません。高杉道場に遠くなりすぎます」
おまさがするどい声でさえぎった。
「いかにも---」
銕三郎は、しどろもどろになった。
源七が、おまさと銕三郎の表情のうごきをうかがうように見くらべ、なにか言いかけようとして、言葉を呑んだようであった。
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