寺嶋村の寓家(4)
しばらくは、親指の太さほどの一本うどんを箸で口にあう長さに切ることに専念している〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 53歳)は、お竜(りょう 30歳)のことを放念したかにみえた。
「いや、なんとも歯ごたえのあるうどんで。、噛めばかむほど、味がしみでてきよります」
「お気にいっていただいたようで、なによりでした」
「しかし、なんですな。わっちも齢で、奥歯が3本ほど欠けておりますので、難儀はなんぎでやす」
「あ。そこへは気がまわらず、申しわけない」
「いえいえ。初物をいただけるのは、ありがたいことで---」
源七は、新しい酒を注文し、銕三郎に酌をしてから、
「お竜どんが言ってましたが、近く、おめでただそうで---」
「お竜どのにお会いになったのですか?」
「江戸へくだってくるさに、掛川で---」
「再来月あたりの吉日に婚儀です」
「ご免」
源七は背を向け、なにやらもぞもぞとやっていたが、坐りなおし、
「長谷川さま。このことを、〔狐火(きつねび)〕のお頭が聞いたら、どんなにかよろこびましょう。お頭に代わり、お祝辞をのべさせていただきやす。これは、〔狐火〕からのお祝いの気持ちです。お納めのほどを」
金包みを押しだした。切り餅(25両)であった。
「源七どの。お気持ちだけはいただいておきます。こちらは困ります」
「あ、言葉をまちがえました。〔狐火〕からではなく、お静さんからということで、ぜひとも、お納めください」
【参照】2009年1月29日[〔蓑火(みのひ)と〔狐火(きつねび)] (2)
2009年2月1日[駿府町奉行所で] (4)
銕三郎があくまで押しもどしたか、お静からというこことで受けたか、ちゅうすけはしらない。
まあ、あとあとのことを考えると、ここで受けては、いけない。
しかし、お竜からの5両はありがたく頂戴しているので、これも、お静からとおもえば、固辞することもなかろうか。
【参照】2008年6月2日~[お静という女](1) (2) (3) (4) (5)
ただ、ちゅうすけとしては、銕三郎に、こう訊かせたい。
「源七どの。その紙包みを示唆したのは、お竜どのですか?」
源七は、ちょっと躊躇してから、
「軍者(ぐんしゃ)・お竜どんがすすめてくれやしたのは、婚儀のお2人に、寺嶋村の寓屋をひと月、お貸ししてさしあげては---と」
「源七どのもお人がわるい。それをお会いしたしょっぱなに明かしてくだされば、恥をかかずにすみもしたものを---」
「---恥?」
「おまさ に妬(や)きごとを吐かせずにすみました」
「ご勘弁を。お竜どんのことを、おまさ坊はしってはいないとおもいこんでいましたで---」
ということで、明和6年(1769)4月(旧暦)の吉日に婚儀をおえた銕三郎と久栄(ひさえ 17歳)は、ままごとのようなハネムーンを、銕三郎には思い出の多い、寺嶋村の寓家でおくった。
もっとも、蚊が多い土地ゆえ、蚊帳は吊りっぱなしで、それをいいことに、銕三郎は、なにかというと、久栄を蚊帳に誘いこんだらしい。
(清長 寺嶋村の寓家での久栄のイメージ)
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