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2008.11.16

宣雄の同僚・先手組頭(7)

先手・鉄砲(つつ)の組頭の、目ざす相手が9名に減った名簿を、銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)は、あいかわらず、鋭い目で睨んでいる。

番手(組屋敷)
(氏名 年齢 禄高 この年までの在職あしかけ年数)

2番手(牛込中里)
 松田彦兵衛貞居さだすえ)   61歳 1150石  2年め
4番手(四谷伊賀町)
 長山百助直幡なおはた)     57歳 1350石  4年め     
7番手(麻布が前坊谷)
 諏訪左源太頼珍よりよし)    62歳 2000石  5年め
9番手(小石川伝通院前)
 遠藤源五郎尚住なおずみ)    52歳 1000石  3年め
10番手(市ヶ谷本村鍋弦町)
 石野藤七郎唯義ただよし)     62歳  500俵  3年め
11番手(不明)
 浅井小右衛門元武もとたけ)   59歳  540石  4年め
13番手(市ヶ谷五段坂)
 曲渕隼人景忠かげただ)      63歳  400石  9年め
14番手(駒込片町)
 荒井十大夫高国たかくに)     60歳  250俵  3年め
15番手(駒込片町)
 仁賀保兵庫誠之のぶざね)     57歳 1200石  1年め
17番手(市ヶ谷本村)
 松前主馬一広かずひろ)      46歳 1500石 16年め

しかし、いくら睨みつけても、当人が、
(てまえでござる)
と、名乗りでてくるものではない。

目の奥に疲れを感じた銕三郎は、名簿を丁寧に折りたたんで懐にしまい、家を出た。
べつに、あてがあってのことではない。
気分転換のつもりである。

三ッ目通りを北へ、竪川に向かった。
三之橋をわたったところで足をとめ、一瞬、逡巡した。
右なら、〔たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ 46歳)がやっている〔盗人酒屋〕がある。おまさ(12歳)もいる。
忠助なら、遠江国見付での日本左衛門の逮捕さわぎと、出張った火盗改メの徳山組のことを教えてくれるかもしれない。
左だと、三次郎(さんじろう 18歳)が一人前に包丁をさばいているしゃも鍋屋〔五鉄〕がある。

銕三郎の足は、そのまま三ッ目通りを北へ向かう。
法恩寺橋通りを東に折れれば、高杉道場であるが、矩折しない。
業平橋筋も、曲がらない。この通りの先からは、井関録之助(ろくのすけ 19歳)がころがりかりこんている茶問屋〔万屋)の寮が近い。

北十間川につきあたった。
右だと、剣友・岸井左馬之助(さまのすけ 23歳)が寄宿している春慶寺。
しかし、銕三郎がとったのは、左であった。
北十間川の河口には枕橋が架かっている。
橋ぎわの信州そば〔さなだ屋〕で、左馬之助とともに〔中畑(なかばたけ〕のお(りょう 29歳)の相方・お(かつ 27歳)の働き場所をさがした、〔橘屋〕の女中・お(ゆき 23歳)が衣装替えをした。

ちゅうすけ注】〔さなだ屋〕は、『鬼平犯科帳』巻2[(くちなわ)の眼]で、鬼平平十郎を見かける舞台となった。

枕橋をわたった銕三郎は、なおも北をめざしている。
その先には、お(しず 18歳=当時)との思い出をつくった小家があり、いまは、〔狐火きつねび)〕の郎勇五(ゆうごろう)一味へ、軍者(ぐんしゃ)として移籍(トレード)されたおが住んでいる。

参照】2008年6月2日~ [お静という女](1) (2) (3) (4) (5)

銕三郎の思惑は、いつのまにか、おになっていたのである。

_130戸をたたくと、風呂あがりらしく、浴衣すがたのおが迎えた。
長谷川さま。どうなさいました?」
「知恵を借りたいのです」
「まあ。私ごときで、まにあいましょうか」
そいういながら、おはうれしそうに双眸を細めた。

部屋で、父・宣雄の同僚が、弓組の地位を狙って、銕三郎とおの関係をさぐっているらしいこと、先手組頭は番方のあがりに近い席であること、職格は1500石であること---などを話し、名簿をひろげた。

参照】2008年11月9日[西丸目付・佐野与三郎政親] (3)

のぞきこんだおの浴衣の襟元がはだけて、豊な乳房がこぼれた。
いや、わざと見せつけているのかもしれない。

長谷川さま。名簿から、1000石以下のお方は、消しましょう」
「なぜ?」
「申しては失礼かもしれませんが、500石の家禄のお武家さまが、1500石の高まで足していただければ、その上をお望みになるよりも、いまのお席大事とおかんがえになりましょう」
「なるほど。理です」

「そうしますと、のこるのは、松田さま、長山さま、諏訪さま、遠藤さま、仁賀保(にかほ)さま、松前さま---のお6方」
「だいぶ、しぼられてきました」
「このうちで、諏訪さまのように、ご一門にお大名がいらっしゃるのは---?」
さすがに、武田勝頼(かつより)を生んだ諏訪一族のことは、甲州生まれのおである、よくしっている。
遠藤仁賀保松前だが、それがどうかしましたか?」
「ご一門に、そういう家があれば、高望みをしがちでしょう?」
「ふむ---」

「ご4家の中で、お勝手向きがもっともご裕福なお家、もっとも逼迫しているお家をお探しになれば---」
「絵解きをしてくだされ」
「ご裕福なお方は、さらに上をお望みになりやすいもの。逼迫なさっていれば、貧すれば鈍す---と下世話に申します」
「いかにも---」
なんとも明快な推察である。

目をあげた銕三郎は、はじめて、おの豊かで白い乳房がこぼれているのに気づいたが、おんなおとこ(女男)とおもっているから、
(もったいない。これで、おんなおとこ、とはな)
その眼差しを、おは、微笑んで受け止めた。

内心の揺(ゆら)ぎをかくすために、訊いてみた。
「おどのは、どのようにして、そのような名察をえられますか?」
「簡単なことです。相手の立場になってかんがえるだけです」
「ふむ」
銕三郎は、またしても教えられた。

長谷川さま。湯をお使いになりますか。背中をお流しします」

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