« 宣雄の同僚・先手組頭(2) | トップページ | 宣雄の同僚・先手組頭(4) »

2008.11.12

宣雄の同僚・先手組頭(3)

平蔵宣雄の同僚の先手・弓の組頭を、あと、2,3人、触れておく。

リスト(11月11日)の3番手の組頭---

堀 甚五兵衛信明(のぶあき) 59歳 1500石  9年め

を見た瞬間、鬼平ファンなら、鬼平の前任者だった堀 帯刀秀隆(ひでたか 1500石)の縁者とおもうであろう。
じつは、縁は、ほとんどうすい。

もっとも、系統は同じ「藤原氏 利仁流」だし、甚五兵衛信明の家も斉藤道三織田信長に仕えていたから、うんと遡れば多分、同根であろうが、『寛政譜』は、信明を巻第769に載せ、帯刀秀隆を巻第1403に置いている。

参照】2007年8月29日[堀 帯刀秀隆(ひでたか)]
2006年4月17日[堀 帯刀秀隆の任期(にんき)]
2006年4月17日[堀 帯刀の家系と職歴(しょくれき)]
2007年9月6日~[『よしの冊子]  (2) (5)


長谷川讃岐守正誠(まさざね 享年69)に嫁してきた於紀乃(きの 69歳=明和5年)の実家・八木家の分家が、信明の生家であるから、平蔵宣雄とも薄いうすい縁つづきといえようか。

参照】2008年10月5日~[納戸町の老叔母・於紀乃] (1) (2) (3)

八木家の本貫は、但馬国養父(やぶ)郡八木谷である。

まあ、こういうように血縁、類縁をたどれば、幕臣の8割はつながってしまう。
つながりにくいのは、ほかの家との婚姻をみとめられないとされていたというお庭番ぐらいかもしれない。
(じつは、お庭番の婚姻が、お庭番の家同士という言い伝えも、17家を調べてみると、そうでもないことがわかるのだが)。

_360_2
(先手・弓の3番手組頭の堀 甚五兵衛信明の[個人譜])

[宣雄の同僚・先手組頭] (1) (2) (4) (5) (6) (7) (8) (9) 


|

« 宣雄の同僚・先手組頭(2) | トップページ | 宣雄の同僚・先手組頭(4) »

018先手組頭」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 宣雄の同僚・先手組頭(2) | トップページ | 宣雄の同僚・先手組頭(4) »