辰蔵のいい分(3)
遅すぎの夕餉を静かに終え、松造(よしぞう 32歳)・お粂(くめ 42歳)夫婦とお通(つう 16歳)が蔵前の榧(かや)寺裏の自分たちの家へ帰ると、病人のいる家は急に洞穴(ほらあな)のようになってしまう。
平蔵には記憶があった。
長谷川家が赤坂氷川神社の坂下・築地に拝領していた家がそうであった。
六代目の宣尹(のぶただ 享年34歳)が伏せがちあったし、家禄を守るために父・宣雄(のぶお 30歳=当時)が婿養子となlったため、形だけの妻となった宣尹の妹・波津(はつ 享年35歳)はずっと病床にあり、婚3年目、銕三郎(てつさぶろう)が5歳のときに息を引きとった。
戒行寺にのこっている戒名---秋教院妙進日進。
それまで、宣雄をはじめ、内妻であった妙(たえ)も銕三郎も、息をひそめるようにして、そっと暮らした。
波津が逝(い)くと、宣雄は一人っ子の銕三郎の健康のために日あたりのよい築地・鉄砲洲へ引っ越した。
奈々(なな 16歳)が看護婦のお専(せん 24歳)を目でまねき、声をひそめて里貴(りき 39歳)の眠りぐあいを訊くと、お専がうなずいた。
指で上をさした奈々は、いつものように灯をもち、玄関から裏庭へまわって2階へ移った。
平蔵は寸時、ためらったが、やはり玄関から裏庭へまわり、音をたてないで階段をあがった。
奈々が腰丈の黒っぽい寝衣に片立て膝で冷酒を呑みながら待ってい、左横を指さした。
座ると、酒をみたした小椀をわたし、右手を平蔵の右腿にのせて躰をくっつけ、
「辰蔵(たつぞう 14歳)さんに口説かれてしもた」
耳元で、ささやいた。
「いつのことだ? どこで?」
話が話だけに、平蔵も唇が耳朶につくようにして訊いた。
聞こえるか聞こえないほどの小声の奈々によると、7日のあいだ、悩みぬいたが、自分の胸におさめおきかねたので、打ちあけているのだと。
口説かれたのは、弥勒寺の裏門---
「山田銀四郎の家でだな?」
「あそこで礼法習うとるとき、見初められたみたい、待ち伏せしてたんな」
「で、口説かれて、どうした」
「遊んどる暇、ないゆうて、ひじ鉄を---」
「よく、やってくれた」
「そやかて、おじさまと、そないなるかもしれへんもん---」
「おいおい---」
奈々の指が平蔵の唇に軽くあてられた。
「しっ---」
平蔵が齢甲斐もなく狼狽したのはたしかであった。
奈々によいようにあつかわれていた。
腿にあてられていた奈々の掌がするりと動き、硬直しかけていたものに触れた。
「あかん、おじさま---ここでできるわけないやん」
平蔵は、奈々の両肩を押して躰を引きはなし、声は小さく、
「辰蔵のことは放念してもらいたい。父親として頼む」
l両肩を押されたために開いた胸元からふくらんだ乳房が2つともこぼしたまま、
「わかった。その代わり---」
いいよどみ、双眸(りょうめ)をとじ、口をさしだした。
平蔵の目に、光をとおしているように白い乳房がささった。
【ちゅうすけ記】奈々の紀州・貴志村ことばは、和歌山出身のアートディレクター・北山隆弘さんの指導をうけています。
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コメント
前から思っていましたが、義母の波津が銕三郎が5才のときに逝ったという史実の発見は、平蔵の性格づけにかかわるすごい発見です。
投稿: 文くばりの丈太 | 2011.07.31 06:39
これは、釣 洋一さんからいただいた戒行寺の「霊位簿」の波津の命日
寛延3年(1750)7月15日(旧暦)によっています。
新暦だと、8月16日にあたるそうです。
銕三郎は延享3年(1746)の生まれですから、5歳の死別になりますね。
投稿: ちゅうすけ | 2011.08.01 04:02