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2006.07.18

辰蔵の年賦

長谷川平蔵宣義(辰蔵)の年譜

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長谷川家紋[左藤巴]

明和7年(1770)生       (宣以25歳、宣雄52歳)

天明8年(1788)12月23日(19歳)お目見(宣以43歳)

寛政5年(1793)ごろ      結婚 (24歳)
                   石浜神社の神官の
                   永井亀次郎安清の養女

〃 6年(1794)         男子:宣茂が誕生
〃 7年(1795)4月  (26歳)宣以50歳。病に倒れる
〃        5月8日     書院番士に(廩米 300俵)
                   (松井松平支族)の
                   松平内匠頭康休組
〃 8年(1796)    (27歳)若君の小納戸

享和2年(1802)7月12日(33歳)西丸の小納戸

文政9年(1826)12月15日(57歳)西城の小納戸頭取、
                   山城守、従五位下
天保2年(1831)6月8日(62歳)先手8番手の弓組頭

天保7年(1836)歿    (67歳)

こうしてみると、父・宣以のおかげで父の生存中に書院番士に召された幸運は別として、あとの順当ともいえる昇進は、当人自身の精進の結果であろう。
火盗改メとして功績をあげた父・宣以が果たせなかった山城守、従五位下に、祖父・宣雄(備中守・従五位下)同様に叙爵されたのもなかなかのものといえる。
もっとも、その時は57歳、父・宣以は50歳で病歿しているから、いちがいに比較はできないが。
ま、史実の辰蔵は、小説に書かれているほど凡庸ではなかった。
いや、父・宣以の死による家督後、隠れていた資質を発揮したともいえる。

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006長谷川辰蔵 ・於敬(ゆき)」カテゴリの記事

コメント

人の功績は死後検証されるのでしょうが、子供が親の功績
で手厚く処遇されるというのは封建時代では当然でしょう。
旗本制度は形骸化され江戸時代の終わり続きましたが幕末
の動乱には禄高の高い者ほど役立たなかったようです。
 テレビで「刑事の勲章」と言う番組を見ましたが、結論
では永く刑事の生活を送った者が地位は別にして偉いと言
うことで感銘を受けました。
長谷川平蔵が永く火盗改めの長官として勤めたことは有能
さと後世に残る彼自身の功績と言えるのでしょう。 
現在も政治家、高級官僚、財界人で役職についたものは
叙勲の対象になります。 私個人としては官尊民卑で格
差をつける叙勲には反対ですが、敢えて異を称え反対する
だけの勇気はありません。 

投稿: edoaruki | 2006.07.18 21:43

>edoarukiさん

>子供が親の功績で手厚く処遇されるというのは封建時代では当然

『続徳川実紀』寛政7年5月8日の項に「先手弓頭長谷川平蔵宣以子辰蔵宣義父の蔭もて両番となる。森山源五郎孝盛火賊捕盗の事奉はるべしとなり。これは平蔵宣以病により仮に命ぜらる」とあります。

松平定信が罷免されて2年ほどがたった時期、本多弾正少弼忠籌が中心となって幕閣をとりしきっていたようですね。
この人は、家門派ではありましたが、定信時代から、どちらかというと、平蔵に目をかけていたようなので、辰蔵の両番(書院番士)入りは、この人がほどこした処置かもしれませんね。

投稿: ちゅうすけ | 2006.07.19 02:21

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