辰蔵、失恋
「殿さま。辰蔵の様子がおかしゅうございます」
平蔵(へいぞう 37歳)の書見の間へ、茶を運んできた久栄(ひさえ 30歳)が妻としてではなく、母親の声で告げた。
「どう、おかしいのだ?」
「ふさぎこみ、ときどきため息をつき、食事もはずみませぬ」
「そのとおりだとすると、おんなかかわりだな」
「おんな---? まだ、13歳でございますよ」
「まだ、13歳ではない、---もうすぐ、14歳なのだ」
「女児の14歳は一人前のおんなでございますが、男の子の---」
「久栄が育った大橋家は、男の兄弟がいなかったからしらないのだ」
いいながら、平蔵が連想していたのは、剣の教え子、菅沼新八郎定前(さださき 19歳 7000石)が、まだ藤次郎と称していた12歳の性への目覚めであった。
【参照】2010つ年5月20日[菅沼藤次郎の初恋]
とろが、13歳のときにはりっぱに体験してい、平蔵はその解決に苦心した。
【参照】2010年7月21日~[藤次郎の初体験] (1) (2) (3) (4) (5) (6)
そういう平蔵は、銕三郎(てつさぶろう)と呼ばれていた14歳のとき、三島宿で甘美な初体験と苦い破恋を体験した。
このとは、いく度もリンクを張ったから、あなたも銕三郎と同じように深く記憶していよう。
スキップしてくださってけっこう---。
ただし、(2)の破恋のほうは少年の性の挫折として再度でもお読みいただきたい。
【参照】2007717~[仮(かりそめ)の母・お芙沙(ふさ)] (1) (2)
あとで察しこたとだが、お芙佐とのことは、亡夫・宣雄(のぶお 享年55歳)がそれとなく手くばりをしておいてくれたものらしかった。
しかも、仔細をしろうとはしなかった。
息子の性の秘事には、父親たりとも立ちいってはならない、という態度であった。
だから、久栄から辰蔵の懊悩を聞かされても立ちいらず、遠くから見守ってい、できることがあればその障碍を密かにとり除いてやるつもりであった。
あれこれ思案をめぐらせ、おもいあたたったのは、辰蔵の弓術の師・布施十兵衛良知(よしのり 39歳 300俵)にいわれたこと---12歳の長女の丹而(にじ)とかいうむすめが辰蔵の嫁になりたいといったが、あれには婿養子を考えておるとか。
(さては、辰蔵めもその丹而とかに気があったのか)
気があったどころか、2人は、布施家から近い神楽坂の毘沙門天門前の茶店の奥座敷で口を吸いあい舌をからませる仲にまで、ままごとを発展させていたのであった。
しらないのは双方の親ばかり。
しかし、そこまでは平蔵も良知もしらないとしても、辰蔵の懊悩はどうしたわけか?
平蔵は、お芙佐(ふさ 25歳)の家を再訪したのに会えなかった23年前の自分の、痛いほどの悲しみを思い出し、うなずいた。
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