月輪尼の初瀬(はせ)への旅(11)
「うち、初瀬(はせ)へはゆきまへん。江戸へ戻ります」
翌朝、月輪尼(がちりんに 24歳)が宣言し、ふっともらした。
「2年近く前、辰(たっ)つぁんに術をかけて法悦をむさぼったあの部屋でのこころの中の長谷寺は、桜花ざかりやった」
(五重塔と桜花)
それが、呼び出しがかかって波羅夷(はらい 犯戒)罪を予感してからの長谷寺の心象は、寒々しい雪景色だと。
(雪景色の長谷寺の庵への道)
「長谷寺へ帰らないのはいいとして、護持院の蓮華庵に戻ることはできまい?」
案じた辰蔵(たつぞう 16歳)に、
「辰(たっ)つぁんと、いっしょに暮らしまひょ」
「うーむ」
「おいや、どすか?」
「そうではない」
月輪尼のいい分は聴くまでもなくわかっていた。
これほど庶民が困っているのに、新義真言宗の本山の僧たちは戒律だの宗律だのにこだわり、おのれたちの権威の保持を考えているだけだ、というのであろう。
「よし。引き返そう」
青みが増している尼の頭を掌でなぜて辰蔵が、
「江戸を発(た)ってより一度も剃らないから、帰俗(きぞく)する気だなとはおもっていた」
「尼頭巾かぶってましたのにぃ---?」
「毎夜、抱いて触れていたではないか」
「ほんに---そやけど、あんときは、辰っつぁんの指がくると、なんにもわからへんようになるよって---」
月輪尼の頭には半分(はんぶ 1.5mm)弱の毛髪がのびていた。
「じつは、夜ごと、ここに触れるたびに、帰俗して髪を結(ゆ)った裸の:敬尼(ゆきあま)をおもいうかべて昂(たか)ぶっておった」
「髪を結ったら、もう、敬尼やおへん。ただの敬どす」
4日後、戻ってきた2人を迎えても、平蔵(へいぞう 40歳)は驚かなかった。
「そうか。安中(あんなか)宿で決めたか。その先の碓氷(うすい)峠で月魄(つきしろ)が脚を痛めなければよいがと案じておった」
「父上は2人のことより、月魄の脚が心配でしたか?」
平蔵の応えに、敬尼が喜悦した。
還俗(:げんぞ)した於敬(ゆき)は、とりあえず、橋場の石浜神明の神官・鈴木大領知庸(ともつね)の養女となって仏籍を消す。
「そのことは、月番の寺社お奉行・堀田相模(守 正順 まさなり 36歳)さまのお許しを得ておる」
月輪尼が破戒ではなく::還俗のあつかいになることは、護国寺の管長が内諾をくだした。
「あとは、石浜神明から旗本の家の養女に転じ、わが長谷川家の嫡子の室となる資格を得るばかりじゃ。その話は、尼どのの還俗の決心)を聴かないことには進められなくてな」
「お舅(とう)さま-----」
月輪尼が泣き伏した。
「津紀(つき 2歳)も待ちかねておろう。いっしょに湯につかり、洗ってやれ」
| 固定リンク
「006長谷川辰蔵 ・於敬(ゆき)」カテゴリの記事
- 月輪尼の初瀬(はせ)への旅(4)(2011.11.05)
- 月輪尼、改め、於敬(ゆき)(4)(2011.11.26)
- 月輪尼、改め、於敬(ゆき)(2)(2011.11.24)
- 月輪尼、改め、於敬(ゆき)(3)(2011.11.25)
- 養女のすすめ(7)(2007.10.20)
コメント