西丸・書院番3の組の番頭(3)
「先日、右京太夫(松平輝高 てるたか)さま 53歳 高崎藩主 5万7000石)侯から、内々のお言葉があっての」
平蔵(へいぞう 32歳)が与(く)みしている西丸・書院番4の組の番頭・水谷(みずのや)出羽守勝久(かつひさ 55歳 3500石)が、かたわらの与(くみ 組)頭・牟礼(むれい)郷右衛門勝孟(かつたけ 57歳 800俵)をかえり見ながら打ちあけた。
これから先は、汝が話せ---とうながされたと察した牟礼与頭が、咳ばらいをひとつしてから、
「松平侯のご城下でおきた盗賊の取調べのこと、火盗改メ・土屋(帯刀守直 もりなお 46歳 1000石)どのの探索を助(す)けるため、枉(ま)げて、暇(ひま)を給してやれぬか---との ことであった」
この宵、平蔵は、三田寺町の水谷邸へ呼ばれていた。
あいさつに私邸へ伺候することはあっても、勤めのことで呼びつけられることはまずないから、なにごとかと思案しながらきてみると、牟礼与頭までが脇にいたので、内心、どきりとした。
水谷侯とは、とくべつな因縁のある平蔵であった。
【参照】2007年4月11日~[寛政重修l諸家譜] (7) (8)
2008年12月3日~[水谷(みずのや)家] (1) (2)
2008年1月25日~[銕三郎、初お目見(おめみえ)] (3) (4) (5)
老中じきじきに土屋組を手伝えとは、恐れいった公私混同だが、願ってもない指示なので、
「お暇は、何日ほどでございましょうか?」
ついでのことに、費(つい)えはどうなっているのか、また、とつぜんおもいつき、
「助手(すけて)はつきましょうや?」
「どのような助手かな?」
「できますれば、書院番3の組の番士・長野佐左衛門(孝祖 たかのぶ 32歳 600俵)を助手に---」
「酒井対馬(守 忠美 ただあきら 51歳 2000石)どのにかけあわねばなんともいえいが、おぬしの指(さ)しであることを、高崎侯へ申しあげてみよう」
水谷出羽守が引きうけた。
水谷番頭とすれば、本丸の老中に会う口実---しかも、私用がらみのそれが一つでもふえたことのほうがめでたい。
「3の組の与頭・内藤(左七尚庸 なおつね 67歳 465石)どのへの根まわしは、さっそくに手前がつけておきます」
牟礼与頭も もはや、ひと働きする気になっていた。
みんな、きまりきった勤めに、退屈していたのだ。
(これで、3の組内での佐左(さざ)への評価が変わればもうけもの。だめでもともと---)
してやったり---と、平蔵は腹の中でほくそえんでいた。
もっとも、事件が紀伊国の内であればもっとよかった。
貴志村へ里貴(りき 33歳)を見舞ってやることができたかもしれない。
まあ、高崎での事件をうまく解けば、あちこちからこのような依頼が来、公費で出張(でば)れる、うまい話がつづくやもしれない。
【参照】2010年2月2日~[組頭・牟礼(むれい)郷右衛門勝孟(かつたけ)] (1) (2) (3)
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