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2010.08.25

西丸・書院番3の組の番頭(2)

「これまでしらなかった、深い快感を与えてくれるのだ」
「ばかは、休みやすみにいうものだ」

平蔵(へいぞう 32歳)は、盟友・長野佐左衛門孝祖(たかのり 32歳 600俵)をからかったが、
(待て。佐左(さざ)をたしなめる資格は、おれには、ない)
里貴(りき 32歳)とのことであった。
渡来人の子孫がかたまって純潔をたもっている村---紀州の貴志の育ちで、透けるように白い肌が、あのときの興奮が高まると、桜色に染まる躰に溺れた。

その里貴は、両親の介護に紀州へ去ってしまった。
できることなら、もう一度、桜色に染めさせてみたい。

佐左は、武家育ちの内室が、3人目のややを産んだときに産道の口が裂け、そのことが快楽ではなくなっていた。
失ったj町むすめの愛人は18歳かそころで、性戯もおぼつかなかったろう。
そんときに、お(はす 31歳)につかまってしまったのである。
男として、一途になって当然かもしれない。

外泊がつづけば、内室や屋敷の者たちはおんなの存在をかんがえよう。

「まさか、〔蓮の葉〕に泊まっていたわけではあるまい?」
「店の、そういう2人連れの客のためにもうけてあるという、高橋(たかばし)を南へわたった稲荷の脇の2階家だ」
(おれが、里貴と抱きあっていたのも、御宿(みしゃく)稲荷の脇の家であった。

参照】2010118~[御宿(みしゃく)稲荷脇] () (
2010年1月20日~[貴志氏] () () (
2010年2月9日[庭番・倉地政之助満済(まずみ)]
2010年2月17日[笠森おせん

とうじ、稲荷は、江戸の町ごとに一社はあり、
 江戸名物 伊勢屋稲荷に 犬の糞
と、「い」づくしの川柳が詠まれていた。

「大方、室の里の藤方家が目付衆に頼み、小人目付の手先に尾行(つ)けられたのであろうよ」
「〔蓮の葉〕が発覚(ば)れていたとすると、事件(こと)は大きくなるぞ」
「なぜだ?」
「おのうしろにいるのは、ふつうの男ではない」
「何者だ?」
「はっきりはわからないが、盗賊ということもかんがえられる」
「盗賊!」
「だから、早く切れたほうがいい」

それから、佐左が与(くみ)している番頭・酒井丹後守忠美(ただあきら 51歳 2000石)へ手をまわしてもみ消す仁のこころあたりを相談した。

佐左は、長野家へ23歳のときに末期養子として入っていた、
入ってすぐに遺跡相続が認められたのは、実家が久松松平の流れであったからである。
その1ヶ月後の安永2年(1773)12月5日の初見で平蔵としりあった。

久松松平は、家康の生母、於大の方が再婚先で産んだ子たちの流れである。
「一族の中に、酒井丹後守さまに押しのきく仁がいるであろうか---」
「実家の本家の祖は、久松の3男で、いまの当主は豊前守勝全(かつたけ 27歳 多古藩主 1万2000石)というのだが---」

多古藩は陣屋が下総国香取郡(かとりこうり)多古(千葉県香取郡多古町)にあった。
上屋敷は小石川富坂上(現・文京区小石川2丁目 富坂警察署あたり)にあった。

「おれは、西丸・目付の佐野与八郎政親(まさちか  46歳 1100石)どのが兄者代わりだから、そっちから探りをいれてみる」
「頼む」
「今夜は、おとなしく、屋敷へ帰れ」


_360_2
(孝祖・養子前の久松松平家時代の個人譜)

参照孝祖長野家へ養子後の個人譜 2009年5月17日[銕三郎の盟友・浅野大学長貞] (

_360_3
_360_4
((久松)松平豊前守勝全の個人譜)

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コメント

平蔵の盟友・長野佐左衛門孝祖の実家は久松松平系だったのですか。長野姓に気をとられていて失念していました。
すると、同じ松平より、家康にもっとも近い松平から、幕閣にも顔が利く人が少なくないでしょう。

投稿: 文くばり丈太 | 2010.08.25 09:22

笠森おせんが長谷川平蔵に関係していたなんて、初めて知りました。
笠森稲荷は、実家の近くです。おせんの前にくっついている「笠森」ば茶店「かぎ屋」がこの稲荷の脇にあったからなんですね。

投稿: misa | 2010.08.25 09:28

親友の色事にまで気くばりしてあげる平蔵さん、友情があついというより、気をまわしすぎかも。
でも、お蓮さんて、ちょっと色気があって年増のいい女ですね。

投稿: tsuuko | 2010.08.25 10:00

>文くばり丈太 さん
久松松平の中には、左金吾定寅のようにアンチ平蔵を標榜した人もいますからね。
もっとも、左金吾のアンチ平蔵は、宰相・定信へのお追従の部分も少なからずあったとはおもいますが--。

投稿: ちゅうすけ | 2010.08.25 11:10

>misa さん
初めまして---たしか、そうでしたよね?
このブログは、えんえんとつづくので、平蔵の同時代の人物で関係がありそうな仁をあらいざらいしています。
笠森おせんも、夫のお庭預かりの倉地政之助がらみで登場させました。
お庭番の倉地満済は、京都御所の下級役人の不正の探索に派遣されたとみているんですが。
それと、老中・田沼意次に命じられて、一橋治済派の探索もしていたとにらんでいるんですが。

投稿: ちゅうすけ | 2010.08.25 11:23

>tsuuko さん
お蓮は、盗賊の愛人にもなれるほど、いい女であるとともに、一人の男では満足できないタイプの女性のようにおもいます。
そういう女性もいていいのではないでしょうか?
モラルの点は別として。

投稿: ちゅうすけ | 2010.08.25 11:34

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