与頭・牟礼(むれい)郷右衛門勝孟(かつたけ)(2)
「長谷川うじ、お子は?」
西丸書院番4の組の与(くみ 組)頭・牟礼(むれい)郷右衛門勝孟(かつたけ 54歳 800俵)が、箸を置き、訊いた。
甘酢のきいた蓮根をつまんでいた平蔵(へいぞう 28歳)も、つられて箸置きへ戻し、
「豚児(とんじ)・豚女(とんじょ)が一頭ずつ---」
「それは、お速い---」
里貴(りき 29歳)が横をむいて笑いをかくしたようなのを、目の隅にとらえながら、余事(よじ)はことさらには口にのせないとおもっていた勝孟が、子どものことを話題にした真意をはかりかね、
「与頭さまのところのご子息は13歳と申されましたが---?」
「次男がな。8年前に逝った長子が生きておれば16歳---いや、逝った子の年齢(とし)をかぞえてもせんない」
里貴が口をはさむ。
「ご内室さまも、さぞや、お悲しみでございましたでしょう。おんな親は、いつまでも死児の年齢を忘れないと申します」
「さよう。室の苦しみは、わしとて身にしみて感じている」
牟礼与頭は、悲しみをはらうように白髪頭をふり、
「長谷川うじは、水谷(みずのや)番頭(ばんがしら 伊勢守勝久 かつひさ 51歳 3500石)さまのご養子・兵庫(ひょうご 30歳)さまをご存じとか---?」
「初見(はつおめみえ)がごいっしょでした」
5年前---.明和5年12月5日前後のことを走馬灯のようにおもいだした。
【参照】2008年12月1日~[銕三郎、初お目見(みえ)] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
2008年12月3日~[水谷(みずのや)家] (1) (2)
聞いてはならない話がはじまると察した里貴が、お茶をおもちしますと、立っていった。
里貴が廊下を立ち去る足音をたしかめるように、与頭はしばらく口を結んでいたが、
「水谷のお頭へのお目どおりの機会は手くばりするが、兵庫さまのことは話題にのせないように---」
「は---?」
「水谷家へお入りになってあしかけ7年になるというのに、お子がおできにならない」
「ご内室はたしか、番頭さまのお姫さま---」
「さよう。しかし、脇にも、できた気配がない、と、番頭さまがなげいておられたが、兵庫さまの出が出じゃからの」
兵庫(30歳)は、越前・福井藩(25万石)の支藩、鞠山藩主・酒井飛騨守忠香(ただか 1万石)の3男であった。
養父・伊勢守勝久の父、京・祇園の執行の行快(ぎょうかい)は、兵庫の大叔父にあたる。
男性として子宝になるものをもっていないらしいとわかっても、実家へ返すわけにはいかない。
「そういうことだから、番頭さまに、お孫の話題は禁物なのじゃ」
「きっと、こころえました」
与頭の牟礼勝孟が招待に気軽に応じてくれたわけを、平蔵はやっと飲み込めた。
見送りにでた里貴に、牟礼はそっとこころづけをにぎらせ、駕篭に身を入れ、ふりあおいで、
「長谷川うじ。こころきいた昼餉(ひるげ)、久しぶりに堪能いたしたこと、くれぐれも礼を申す」
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