嫡子・辰蔵の誕生
明和7年(1770)の(旧暦)3月1日の早暁、久栄(ひさえ 18歳)が男子を産んだ。
その産声(うぶごえ)が産室をみたすと、赤ん坊の父・銕三郎(てつさぶろう 25歳)をはじめ、平蔵宣雄(のぶお 52歳)とその内妻・妙(たえ 45歳)も、ころがるように産室へ走った。
昨夜からつめきっていた産婆が、産湯(うぶゆ)をつかわせている赤子を見せて、
「ご立派な、お跡継ぎでございます。おめでとうございます」
いちばんあわてていたのは、宣雄で、産婆に、
「苦労であった」
礼の言葉もそこそこに、赤子に話しかける。
「これが祖父ぞ。わしが祖父ぞ」
「殿さま。父親の銕三郎の挨拶が先でございましょう。おじいちゃんはあとでよろしいのです」
妙がたしなめても、
「なにをいうか。わしは、当家の主(あるじ)であるぞ。主が真っ先に言葉をかけて、どこが悪い」
銕三郎は、宣雄にかまわず、久栄の手を布団の中でにぎりしめ、目で、
(よくやった、よくやった)
と伝えている。
赤子が、久栄の実家・大橋からとどけられていた産着にくるまれて、生母の隣りに寝かされると、宣雄が改まり、
「銕三郎、久栄。この子の名前じゃが、なにか案でも相談ができておるかの?」
顔を見合わせてから、久栄が、
「お舅(ちちうえ)さまに、ご案がございましょうか?」
「じつは、いま、ひらめいた」
「---なんと?」
「今朝は3月朔日である。しかも、いまは、日の出どき。しごく、めでたい」
「はい」
「それで、辰蔵---と」
「辰蔵---」
「この家は、お城から辰の方位(東南東)にあたり、3月は辰月である。あ、ちょっと待て。太作。辰蔵のための産湯の用意、大儀であった。礼をいう。ついては、もう一つ---和泉橋通りの大橋どのの家へ、無事に辰蔵が生まれたこと、母子ともに、伸びざかりの草木のようにすこみやかであると、親英(ちかふさ)どのへ告げてきてくれないか。そうじゃ、与惣兵衛(親英)どのもわしも、ともにおじじと呼ばれる身になったとつけくわえてくれ」
太作(たさく 63歳)が、久栄のうなずきに頭をさげて出ていくと、
「おじじ呼ばわりは殿さまからおいいだしでございますからよろしゅうございますが、わたくしのおばば呼ばわりはご遠慮申します」
「おばばがいけないとなると、なんと?」
「大母者---」
「辰蔵が舌を噛むわ」
「それでも、そう、願います」
「辰蔵よ、聞いたか? そなたのおばばどのは、身勝手な、たいしたおばばじゃぞ」
久栄が痛そうに眉をひそめながら笑い、それにつられて、辰蔵が泣きはじめた。
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