〔銀波楼〕の女将・小浪
それから10数日後の九ッ半(午前9時半)。
非番の日に平蔵(へいぞう 32歳)は、浅草・今戸橋の料亭〔銀波楼〕に、女将の小浪(こなみ 38歳)を訪ねた。
浅草・今戸・橋場をとりしきっている香具師(やし)の元締・〔木賊(とくさ)〕の今助(いますけ 30歳)ともども、待っていてくれた。
手なれたあいさつを交わし終えると、さっそくに切りだした。
「なにか、長い耳にはいりましたか?」
小浪が首をふった。
「やっぱり---」
ととのった京美人ふうのところは、大年増になっても失われるどころか、いよいよ濃艶さをましていた。(歌麿 イメージ)
小浪は、御厩河岸の舟着き前で茶店の女将をやりながら、〔狐火(きつねび)〕〔の勇五郎(ゆうごろう 57歳)一味のうさぎ人(にん)を勤めていた。
店を火盗改メの隠し拠点にゆずり、〔不入斗(いりやまず)〕のお信(のぶ 36歳)が女将になっている経緯(いきさつ)は、5年前の〔神崎(かんざき)の伊之松(いのまつ 50歳=当時)に記した。
【参照】2009年6月25日~[〔神崎(かんざき)の伊之松] (1) (2) (3) (4)
小浪については、〔狐火〕の勇五郎から、お役にたつことがあったら、いつでも使ってくれといわれていた。
2008年10月23日~[〔うさぎ人(にん)・小浪] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
「長谷川さま。〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛(いちべえ 50すぎ)お頭の風評(うわさ)でのうてもよろしゅおすか?」
平蔵とすれば、深川・高橋(たかばし)近くの小料理〔蓮の葉〕で、火盗改メ・土屋組(先手・弓の7番手)の同心・多田伴蔵(ばんぞう 41歳)と打ちあわせたことが、女将・お蓮(はす 31歳)の口から〔蓮沼〕のに伝えられ、盗賊たちのあいだでどのようなさざ波がたつかを知りたかったのである。
【参照】2010年2月11日~[〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
つまりは、盗賊組織の伝達網を試してみるためりに投じた一石であった。
「かまわぬ。話してくれ」
小浪によると、3日前の昼どきの2人づれの客のことであった。
座敷にあいさつにで、その一人が〔馴馬(なれうま)〕の三蔵(さんぞう 40歳すぎ)という、左官あがりのひとり働きの盗人(つとめにん)とわかった。
かつて、〔狐火〕が東海道の藤枝で仕事をしたときに助(す)けにきたので顔をしっていた。
「〔馴馬〕の三蔵---?」
「はい。.常陸(ひたち)国稲敷郡(いなしきこおり)の馴馬村(現・茨城県竜ヶ崎市馴馬町)の生まれやら、いうてはりいましたんえ」
「もう一人は---?」
「粂八どん---と呼ばれてはまりしたけど、引きあわされしまへかったよって、通り名のほうまでは---」
「いや、かまわぬ。で、〔馴馬〕がどうした---?」
小浪があいさつをすますと、席をはずすように三蔵が目顔でうながしたので部屋をで、廊下で聞き耳をたてたら、
「〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛(ちゅうべえ 30代半ば)どんのとこの孫八どんから仕込んだのだが---」
---まで聞きとれた。
「ふーむ」
「「長谷川さま。〔船影〕の忠治(ちゅうじ 60がらみ)お頭はんは、江戸では盗(おつとめ)してやおへんと聞いてましたよって---うちの耳まちがいかもしれしまへん」
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コメント
驚きました!!
昨日分のカウンター---ページ・ビュー
2,036
一気に記録更新!!
しかも、前日の1,095から1000ページ近くも増加。
ありがたいやら、怖いやら。
このペースが持続しますように祈るのみ。
投稿: ちゅうすけ | 2010.08.19 03:34
昨日、お祝辞を言い忘れていたら、きょうは2,036との新記録のコメント。
遅ればせながら、新記録樹立、おめでとうございます。これから、ますます、人気が高まって行くことと思います。ちゅうすけ版平蔵ファンとして期待しています。
投稿: tsuko | 2010.08.19 05:27
>tsuko さん
そうなんです。自分でも驚いているのと同時に、感謝しています。
長年、こつこつとやってきた甲斐があったと---。
こういう地味なブログですから、多くは望めません。本当に史実が好きな方との共同作業で、長谷川平蔵が深められればいいと考えています。
投稿: ちゅうすけ | 2010.08.19 11:24