辰蔵のいい分(10)
つぎの施療は7日あとと告げられていた。
府内の辻番所をまわりながら、耳の奥では、月輪尼(がちりんに 23歳)---いや、いまでは敬(ゆき)の俗名で呼びかけているおんなの読経が聞こえていた。
[かくのごとく我れ聞く(如是我聞)
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母の恩を討論するに旱天(こうてん)きわまりなし。
嗚呼(ああ)慈母いかんが報ずべき。
もし孝順(じじゅん)慈孝(じこう)の子あり。
よく父母のために福をなし経を造(つく)り。
あるいは七月十五日、僧(ぞう)自恣(じし)の日をもって、
よく仏盤、および盂蘭盆(うらぼん)を造りて、
仏および僧に献ずれば、
果を得ること無量にして、よく父母の恩に報ず。
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(そういえば、比丘尼(びくに)---敬(ゆき)どのへの施療代はまだ払っていない)
辰蔵(たつぞう 14歳)は、いい口実ができたとばかりに大塚の護持院へ向いかけ、あわてて紙入れをあらためた。
辻番所めぐりを命じられて20日ばかりしか経っていず、紙入れには3朱(3万円)と小銭がいくばくかしかのこっていなかった。
これでも、ずいぶん節約してきたつもりであった。
昼飯は屋敷から握り飯、茶は今戸の元締・〔木賊(とくさ)〕の今助(いますけ 36歳)が、
「お父上に、ひとかたならぬ恩義のある者たちですから、若さまがお顔をお見せになれば、みんな、大喜びでもてなしましょう」
巡回の途中に訪問してみると、どこの元締も歓待してくれ、中には酒を出すところさえあった。
蓮華院に月輪尼(がちりんに)の庵を訪うと、先客の30すぎの女が2人い、ちょうど施療がおわったところらしく、例の部屋から敬尼(よしあま)と患い人がでてきたところであった。
25歳前後とおぼしい「患い」人のほうは、上気したようにふらついた足取りで礼をいい、帰っていった。
辰蔵に目をとめた尼は笑顔を殺し、
「寺院の前の富士見坂をのぼりきる手前に〔高瀬川〕いう京菓子だしてる茶店がおますねん。あしこで小半刻(30分)ほどつぶしておくれやすか。付けはうちへ、いうとくれやす」
富士見坂と名づけられているだけに坂上の真正面に、初冬の青空に雪を冠している霊峰がのぞめた。
見とれながら、1年ほど前の東海道の旅の原宿あたりの風景がよみがかえった。
(広重 『東海道五十三次』 原宿)
つづいて嶋田宿でのお小夜(さよ 22歳=当時)が櫓炬燵に寝、手鏡に秘部を映させている図が浮かんだが、憤りはきれいに消えていることに驚いた。
〔高瀬川〕ののれんを分けようとしとして、店内から出てきたおんなが人相絵のお賀茂(かも 46歳)によく似ているので、はっとしたが小半刻を庵主と約束していることでもあり、あきらめるしかなかった。
お茶を給仕している小女に、
「いましがた出て行った大年増は、久しくあっていない親戚の叔母に似ていたようだが、この近くの人か?」
「いいえ。でも、〔高瀬川〕という店名と京菓子がなつかしいとおっしゃり、月餅を6ヶもお求めいただきました」
(しまった、尾行(つ)けて住いをあてれば、父上から1分(ぶ 4万円)、いや、2分はもらえたかもしれない。が、ここで見かけたからには、あたりの辻番所できっと割れるにちがいない。それには、こちらの素性を隠すことだ。みすみす茶代を使うのは腹だたしいが、拙があのおんなことを尋ねたと、小女がしゃべったら元も子なくなる。茶代を庵主に付けてはならぬ)
庵へ戻ってみると、待ち客はいなくなっていた。
「辰はん。施療まであと3ヶ日おます。どないかしぃはりましたんか?」
「施療料をお支払いしていないことをおもいだしました。手元には3朱しか持ち合わせがありませぬ。いかほどかわかれば、あすにでもおとどけいたします」
「けったいや。そんなんは、〔音羽(おとわ)〕の元締はんから、ぎょうさんお預かりしてますんえ。小遣いが足らへんのやったら、預かり金から渡してあげまひょか?」
双方、きょとんとしたおもいでいたが、気がつくと声をあげて笑っていた。
「せっかくやから、施療しまひょ」
[かくのごとく我れ聞く(如是我聞)
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父母の恩徳に十種あり、何等(なんら)をか十となす。
一(いつ)に懐担(かいたん)主語の恩。
ニには臨産受苦の恩。
三には生子しょうし)忘憂(ぼうゆう)の恩。
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「嶋田宿からのち、女躰の不思議は---?」
「消えたともいえ、さらに深まったともいえます」
「消えたのは---?」
「馬や猫の仕組みと変わらないようだてと---」
「不思議が深まったのは---?」
「違う女躰へ入ったとき、感じがまるで違いました。この違いがなんだったのか、解けませぬ」
「嶋田宿からのち、女躰を抱いた---?」
「はい、4ヶ日前です」
「どこで---?」
「こちらです」
「誰を---?」
「敬女(ゆきじょ)です」
「そのようなおなごきは、この庵にはおらぬが---?」
「いいえ。庵主(あんじゅ)さまの得度前の、現身(うつせみ)の世でのお名とお聞きしました」
「そなたは夢をみておったのではないか---?」
「否。まぼろしではなく、ちゃんと放射しました」
「敬女の玉道へか---?」
「はい。そうおもいます」
「では、敬女とやらが、いまいちど、添い寝をする。抱いてみよ」
さわさわと衣(ころも)を脱する気配があり、白い裸身の敬女が横に寝た。
辰蔵が腰を抱きよせると、前身をくっつげた。
黒髪のないうなじを支え、口をあわし、舌をさしこむと、まさりぐりに応えた。
辰蔵の指が、小さなた乳頭をなぶると、嘆声がこほれた。
4ヶ日前と異なり、敬女はすべて受身であった。
指で茂みの中が、あふれるほどに潤っていることが感じとれた。
上にまたがり、そこを吸った。
敬女も辰蔵の太棒をくわえた。
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一生にあゆらゆる、十悪五逆、無間(むけん)の重罪も並びに消滅することを得ん]
『父母恩重(おんじゅう)経』の読経がおわったとき、辰蔵は軽いいびきをたてて眠りこけていた。
月輪尼は、端坐をくずしていなかった。
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コメント
>『父母恩重(おんじゅう)経』の読経がおわったとき、辰蔵は軽いいびきをたてて眠りこけていた。
さぞかし心地のよい眠りでしょう。こういう一節を読むと、引き込まれますね。
投稿: numapy | 2011.08.07 11:42
>numapy さん
『父母恩重経』は、ふつうの経文でなく、文章化されていますから、リズムもとれていて、子守唄がわりにもなるかもしれませんね。
投稿: ちゅうすけ | 2011.08.09 07:13